小説

『ホップステップ』小山ラム子(『王様の耳はロバの耳』)

「そのため息どうにかならない?」
 左側から聞こえてきたその声に美空はすぐに反応できなかった。ため息をついていたのも無自覚だったし、何よりその男子がそんなことを言う人だとは思っていなかったのだ。
「聞いてる?」
 隣の席の貝塚くん。物静かで頭の良い子、というイメージしか美空の頭の中にはなかった。
「え、あ、えと、ごめん」
 貝塚くんは「いえ」と言って再び読書へともどっていった。美空は胸がどきどきしていた。ときめき、だったらいいがそうではない。緊張や恐怖に近い心臓の鳴り方。これに似た思いは今朝がた経験したばかりであった。

「なにふざけてるの。さっさと楽譜用意して練習しなよ」
 丸くてふわふわとしていた空気が一瞬にして三角形に変化する。
「はい! すみません!」
美空の隣にいた春香があわてて楽譜の入っている棚のほうへと走っていった。美空は声の持ち主に目を向ける。自分よりも一つ年上の部長である。小声で「すみません」と言ってから春香の後を追う。
 美空は高校に入ってから合唱部に入部した。廃部になっていたところを今の三年生が一年生のときに復活させたので、活動内容は未だに発展途上である。三年生が四人。美空を含めて二年生が五人。一年生は勧誘に力をいれたおかげか八人が入部してくれた。
 コンクールに出たことはないが文化祭や発表会等で歌う機会はあるし、最近はボランティアで老人ホームや児童館にいって活動をしている。なかなかやりがいのある部活である。
 しかし美空にとって大切だったはずの部活は今は悩みの種になっていた。
 第二音楽室のドアが開く。大声で笑いながら入ってきた一年生二人はなかなか練習の準備に入らずおしゃべりを続けていた。別にそれはいい、と思う。朝の練習は任意だ。美空は部長を見る。部長は他の三年生と話していた。騒がしい一年生には目もくれない。
 こんなことがここ最近続いていた。

「またついてたよ。ため息」
「え⁉ うそ!」
 いやな記憶をわざわざ思い返していた美空を現実の時間へと引き戻したのは貝塚くんだった。
「ごめん」
「謝罪は改善策と共にしてもらえると助かるんだけど」

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