小説

『生者の書』裏木戸夕暮(『死者の書』)

「うん、まだ分かんねぇわ」
 人間としても医師としても自分はまだ若輩だ。今の俺が判断することじゃない。多分、両方の経験を積みながら少しずつ理解していくのだろう。だからまだ今は、とりあえず。

「先生、落ち着かれたらご飯食べましょう。それからお風呂も入りましょうか」
 若い医師の声に、書道家がぽかんとして振り返る。
「人工臓器ですからね、もう食事はとれるんですよ。美味しいものでも出前しましょ。で、暖かいお風呂に入ってリフレッシュ。後々のことはゆっくり考えましょうよ」
 若い医師がぽん、と肩を叩くと、気が緩んだのか書道家の瞳に涙が浮かんできた。
「う、うう。すまない。取り乱して・・・」
「大変な目に遭われたんだから当然ですよ」
 若い医師は優しく書道家の背中を撫でる。何だ、他愛ない爺さんじゃないか。気難しくてとても付き合っていられないなんて聞いていたが。若い医師の心に、この哀れな年寄りを慈しむ気持ちが生まれた。この患者が立ち直れるように寄り添ってやろう。自分に出来ることは何でもしてやろう。なんならいつか、打ち明けてやってもいい。

 お宅の奥さんウチに居ますよって。

1 2 3 4 5