亀は言った後「あっ」と言い、誤魔化すかのように海に泳ぎに行ってしまった。
もしかしたらボクはハメられたのかも知れない。亀はよく虐められる。それを助けた者は竜宮へ連れて行かなければならないというような規則があって、あの亀にもノルマがあるのかもしれない。
亀を問い詰めてやりたいが、今のボクの友達はあの亀だけだ。ボクは亀とこの浜で話すときだけが唯一の生きている証になっている。
ボクはこの村で生きた17年間を覚えているが、そのすべてが無くなっている。ボクには思い出はあっても実体がないのだ。
竜宮にいる時はあれほどイケイケで陽気に過ごしていたのに、今はそれがまるで悪の根源であるかのように思える。
そして考えはいつもここにたどり着く。
ボクは生きている意味があるのだろうか?
ボクは答えが欲しくて時々村の図書館へ行って知識を得てくる。
今から1842年前の478年、日本書紀に浦島太郎という男が竜宮に行ったという記載がある。戻ってきた浦島太郎は知る人もいない状態に耐えられず玉手箱を開けた。浦島太郎は白髪頭で300歳の爺さんになり、その後穏やかに暮らしたという。
浦島太郎でさえ寂しさには耐えられなかったのだ。寂しいって辛い。一人ぼっちってこんなに辛いのだ。
「俺がいるだろ」
いつの間にか戻ってきた亀が言った。ボクのたった一人の友達だが「亀だからなぁ」と言うと、激怒した。
人生は引き返せない。ボクは300年先に行かれても過去に戻ることはできないようだ。
「忘れるってことは、人間にとっての救いなんだよ」
亀の口癖だ。ボクが玉手箱を開けたらすべて忘れる。爺さんであるボクという存在が残るだけだ。
いくら考えても結論は出ない。
それでもボクは考えた。毎日毎日考えた。
「過ぎてからかえらぬ 不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」とシェークスピアは書いている。
亀が言ったように「知りたい」と思うことは自然な精神の証拠なのかもしれない。
最近ボクは竜宮へ行ったことを「後悔してはいけないのだ」と思えるようになった。後悔することを止めれば想い出に苦しみ続けることはなくなるからだ。
生きていくってことは、忘れるってことなのだ。
やっと、そう思えるようになった。
だから
ボクは玉手箱を開けた。
どのくらい寝ていたのか、私は砂浜で春の陽を浴びながら眠っていたようだ。
空が抜けるように青く雲一つない。気持ちの良い空に思わず笑みがこぼれる。
「いい空だ」