小説

『待ち合わせ』松野志部彦(『浦島太郎』)

 本当は行かないつもりだったが、由佳がどうしてもと言うので、僕は眠い目をこすりながら浦島祭へ出かけた。あちこちに提灯をぶら下げた町並みは、いつもより浮足立った印象だ。浴衣を着た男女がたくさん歩いている。皆が目指しているのは、やはり浦島海浜のようだった。
『どこで待ってればいい?』
 家を出たところで由佳にそうメッセージを送ったが、彼女から返信はなかった。既読もつかない。腹立たしいような、億劫なような、曖昧な気持ちを抱えながら、僕は浜辺を目指して歩く。人混みが嫌いな僕には結構な苦痛である。おまけに朝の四時までオンラインゲームをやっていたので、コンディションも酷使された雑巾みたいに最悪だった。
 浜ではすでに儀式が始まっていた。波打ち際に、一組の男女と装束姿の神主が佇んでいるのが遠目に見える。あまり興味は湧かなかったけれど、僕は浴衣の群れに混じって、なんとなくそちらに近づいてみた。せっかくだから観るものは観ておこうと思ったのだ。
 今回の浦島太郎役は、若くて髪の長い、なんだか大昔のバンドマンみたいな男だ。神主が祭詞を読み上げるなか、彼ははにかんだ笑みでちらちら観衆を見ている。身内が見に来ているのかもしれない。浦島役にしては、貫禄はまったく感じられなかった。
 亀役の女を見て、僕は「あっ」と声を上げそうになった。
 そこにいたのが、由佳だったからだ。彼女は浦島役の男と対照的に、真剣な面持ちで神主を見つめている。どういうわけか高校のブレザーを着ていて、革靴のまま、穏やかに寄せる波に足首まで浸らせていた。
 最近の由佳の様子がおかしかったことに、僕はやっと思い当たった。教室にいるときも、放課後に並んで帰るときも、彼女がずっと黙しがちだったことを思い出す。ときどき、僕の顔を見て、なにか言いたそうにしていたことも……。

「ねぇ、あたしが遠くに行っちゃったら、どうする?」
 学校の帰り、夕日の当たる海岸線を歩きながら彼女は言った。
「なんだよ、それ」僕は、笑ったと思う。「なんの映画の台詞?」
「ずっと遠い、海の底みたいに深い場所に行っちゃったら、きみは待っててくれる?」
 そういうイタイことを言うような奴ではぜんぜんなかったので、僕はちょっと戸惑ってしまった。
「わけわかんねぇって……、なに、どっか行くの?」
 彼女はそれに答えず、寂しそうに笑ってまた黙り込んでしまった。

 あのとき、由佳はこのことを言っていたのだ。
 僕は居ても立ってもいられない気持ちになったが、青い空と海の狭間で行われているその儀式が、とてつもなく神聖で冒しがたいものに思えてきて、声すら上げられなかった。あちこちで、スマートフォンのカメラが二人に向けられている。僕はそのひとつひとつを叩き壊してやりたい衝動に駆られた。なにか自分の大切なものが衆目に晒されている気がして落ち着かなかった。

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