小説

『注文の多いお弁当』木口夕暮(『注文の多い料理店』)

 何でだ?二階に居る筈の妻が庭に立っている。硝子に両手をついて、虚ろな目で俺を見ている。待て待て待て待てこれは夢か?夢なのか?二時だぞ、午前二時!俺が見るのは、弁当の夢だ!その日の昼飯の夢の筈なんだ!
 な、ん、で、妻、を、見るん、だ、よ!
 <特製のお弁当>?え?<特別なもの、食べさせてあげる>って、え?
 「嘘だろう!」
 その時二階から物音がした。ガタゴトッと、人が格闘するような音が。
 「やめろぉっ!」
 俺は夢中で二階へ向かった。ダダダダダッと階段を駆け上り、あと一段という所で
 「あっ!?」
 頭と足が逆転し、俺は真っ逆さまに階段から・・・

 ひと月後。喫茶店で二人の女性が向かい合っていた。
 「お疲れ様。色々と有難う」
 「そんな。奥様にお礼を言われるなんて」
 「いいのよ。本当はお詫びをしなきゃ。主人のせいで、辛い思いをさせたわ」
 「いえ・・・」
 未亡人となった妻と、例の愛人の部下だ。
 「元々ね、ちょっとモラハラな所があって悩んでたの。そこへ貴女が、主人の事を話しに来てくれたから」
 「あの時は本当に、すみません。ご主人と別れてだなんて・・」
 「だからいいのよって」
 元妻はふうと溜息をついた。
 「私が妊娠したことにして、あの人が態度を改めれば許そうと思ったの。最後のチャンスだったのにあの人ったら」
 「でもよく騙せましたね?妊娠しただなんて」
 「父が協力してくれたから。あの人もねぇ。一度位診察に付き合ってたら分かったかも知れないのに」
 元愛人がくすりと笑った。
 「でも、ちょっとヘンな作戦でしたね。お弁当作戦」
 「簡単な料理のひとつもしない人だったから、そのお仕置きもかねてね。面白かったわよ?ピアノ線でね、こう、鶏を引っ張ったり」
 うふふふと二人は顔を見合わせて笑った。
 「ご主人の事故死、疑われませんでした?」
 元愛人が声を潜めた。
 「全然。証拠残してないし、私たち一見上手くいった夫婦だったから」
 「私、それだけが心配でした」
 「そうだ。あなた会社辞めたんでしょう?失礼でなければ、これ受け取って欲しいの」
 元妻が分厚い茶封筒を差し出す。
 「そんな。受け取れません」
 「いいのよ。父からの御礼も入ってるわ。ろくでもない婿を退治できたって喜んでるわよ、ここだけの話。ね、お願い受け取って」
 押し問答があったが、結局元愛人は受け取った。
 「有難うございます」
 「お互いに、新しい生活をスタートさせましょうね」
 「そうですね、お互いに」
 「さ、珈琲で乾杯でもしましょうか。ケーキも美味しそうよ」
元妻がメニューを差し出し、元愛人が覗き込む。二人とも晴れ晴れとした顔をしていた。
 頃合いを見たウエイターがテーブルに近づく。

 「ご注文は、お決まりですか?」

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