小説

『娘の家』吉岡幸一(『リア王』)

「そうだな。それに俺には裏切られて奪われるほどの土地も財産もないけどな」
 剛志は笑いました。卑下して笑っているのでなく、心からおかしくて笑ったのでした。
「お爺ちゃん、早く帰ろうよ。大きなケーキが待っているよ。蝋燭もいっぱいあるんだ」
 裕介は剛志の腕をひっぱりました。
「どういうことだい。ケーキだなんて」
「忘れたの。今日はお爺ちゃんの百回目の誕生日でしょう。だからみんな集まったんだよ」
「そうか、誕生日か。でも百回目じゃないぞ。まだ八十三回目だ」
「なんだ、百回目じゃないんだ」
「裕介のためにも百回目の誕生日まで生きないといけないな」
「お爺ちゃんなら大丈夫だよ」
 剛志は裕介の手を取りました。優子は目を細めて泣きそうな顔をしていましたが泣いていませんでした。意味もなくなんども頷いていました。
 西日を背中に受けながら、剛志は孫と三人の娘たちと我が家に向かって歩きだしました。背中は燃えるように熱かったのですが、足元には涼しげな秋の風が舞っていました。

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