小説

『三十年の時を越えて』ウダ・タマキ(『浦島太郎』)

 柔らかな風が吹き抜けた。木々を優しく撫で海へと向かう風は、排気ガスを吸い込みながらビルの谷間を吹き抜ける都会のそれとは違った。
 青い空を流れる雲を見上げ、僕はあの頃を思い出していた。

 
 駐輪場は蝉の合唱に包まれていた。松原の向こうに広がる海の波音、野球部のかけ声や金属バットが硬球を捉える高い音、全ては蝉の鳴き声に掻き消されていた。
 それは高校二年の夏休みを迎える頃だった。部活で帰りが遅くなった僕は首にかけたタオルで汗を拭いながら自転車を探していた。茹だるような暑さと響き渡る蝉の声に耳鳴りがしそうだった。
 その隙間を縫うようにして潮の香りとともに風に運ばれ微かに人の声が届いたが、最初は砂浜で遊ぶ人の声だと気にも留めなかった。

 響き渡る蝉の声、
 笑い声。
 蝉の声、
 罵声と怒声。
 蝉の声、
 悲痛な叫び声。

「痛い!!」

 僕は林立する松の木の隙間から砂浜の様子を窺った。その声の主こそ二組の亀井守、のちに僕の親友となる亀ちゃんだった。罵声や怒声を発しているのはそのクラスメイト達で、それは絵に描いたようないじめの光景だった。頭を抱えてうずくまる亀ちゃんを取り囲み、殴って蹴って、砂を投げつけて。
 僕は亀ちゃんと話をしたことがなかったが、彼がいじめられていることは知っていた。それは同級生みんなに周知の事実で、だから亀ちゃんの顔も名前も知っていた。
 僕は彼らのもとへゆっくりと歩みを進めた。松原に手頃な枝を見つけ、それを侍よろしく肩にあてると眉間にシワを寄せて睨みをきかせた。
「亀ちゃん、ここで遊んでたの? ずっと待ってたのに」
 咄嗟に出た台詞だった。亀ちゃんを囲む四人が僕に視線を向ける。そして、すぐに互いの顔を見合わせてオロオロする姿は滑稽だった。
「一組の浦添太郎君? えっ、亀井の友達?」

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