夏も終わろうとしていましたが、まだ日射しが肌をじりじりと焼くような日々が続いていました。剛志(つよし)は昼食を食べている途中で席を立つと、そのまま家を出ていこうとしました。すでに八十歳を過ぎていましたので敏捷な動きはできませんでしたが、頭は若者のようにしっかりとして口も達者でした。着る服もデニムとポロシャツといった若い格好を好み、気持ちではまだまだ若者に負けないつもりでいました。
「どうせ俺はやっかい者だろう。出ていってやるから、お前らだけで好き勝手に暮らすといいんだ」
剛志は玄関で靴を履きながら追いかけてきた長女の優子(ゆうこ)に唾を飛ばしながら吠えました。
「またそんなことを言う。今日はいったい何が気に入らなかったんですか」
「夕飯の残り物なんか食べさせやがって、俺を猫といっしょにしているんだろう」
「ミケには残り物なんてあげません。ちゃんとペットフードをあげています」
「なら、俺はペット以下ということか」
「私だって夕飯の残りを食べているでしょう。同じじゃないの」
「どうだかな。後でうまい饅頭でも買って一人で食べるつもりなんだろう」
「お父さん、被害妄想はいい加減にしてください」
優子はため息まじりに答えると、外に出ていかないように剛志の腕をつかみました。
同居生活をはじめて半年、最初の二ヶ月は大人しくしていた剛志でしたが、それ以降は頻繁に家を出ていこうとし始めました。気に入らないことを見つけ出しては、それを理由に出ていこうとしたのです。
家には長女の優子の他に、夫の和也(かずや)、孫の裕介(ゆうすけ)がいます。昼間和也は仕事に出かけ、裕介は小学校に行っているので家にはいません。剛志はふたりきりになる前は、祖父として不平不満を言うこともなく威厳のある佇まいを保っているのですが、優子の夫と孫が出かけた途端、抑えていた不平不満が噴出するのでした。
「優子だって俺なんかと一緒に暮らしたくはないだろう。わずかな年金しかもらってない役立たずだからな。長生きしてしまってすまないな。俺もはやく死んで母さんのところに行きたいよ。もういい加減、生きるのには飽きた」
「そんなこと言うものじゃありませんよ。もういじけるのはやめて」
「和也くんだって、俺みたいな爺さんがいたら、家でくつろげないだろう。最近は帰って来るのもずいぶんと遅いみたいだし、口に出さないだけでストレスになっているんだよ」
「繁忙期で仕事が忙しいだけですよ。あの人はお父さんのこと嫌ってなんかいませんから」
「裕介だって、家に帰ったらゲームばかりしているじゃないか。俺には挨拶くらいしか話しかけてこないぞ」
「男の子なんてそういうものです。私にだって同じような感じなんだから」
優子は玄関の縁に腰をおろして正座すると、靴を履いている剛志を無理やり縁に座らせました。剛志は抵抗する素振りをみせながらも素直に腰をおろしました。