小説

『彼の猫』斉藤高谷(『山月記』)

 久しぶりに実家に帰った。母と仕事の近況や誰それが結婚したとかいう話をしているうちに、トモミツ君の話題になった。
「あの子、猫飼いだしたのよ」
 トモミツ君とは幼稚園から高校まで一緒だった。家が同じ地区ということもあり、登校班や子ども会など何かと顔を合わせる機会は多かった。特に仲がよかったというわけでもないが、こちらが挨拶をすれば向こうも普通に返してくれる間柄ではあった。そんな彼は、中学・高校と相次いでご両親を亡くした。そのせいなのか、目に見えて内向的になり、顔を合わせても挨拶をしてくれなくなった。高校では三年生の時に毎日同じ教室で過ごしたものの、言葉を交わした記憶はほとんどない。
「まだあの家に住んでるんだ。一人暮らし?」
「独身よ。ずっと一人。一日中家にいるみたいだけど、何やってるのかしらねえ」少なからず否定的な響きがあった。近所でもあまりいい噂は立っていないらしい。

 トモミツ君が日がな一日を家でどう過ごしているのか、わたしには心当たりがあった。もしかして、という希望を抱くと、それが真実なのか確かめたくて堪らなくなり、夕飯を終えると、適当な口実を作って家を出た。向かった先はもちろん、トモミツ君の家である。
 彼に関することで、わたしの持っている情報は少ないし古い。わたしの中で、彼は高校三年生のままで停まっている。
 母に聞いた話では、地元の大学の文学部を出た後は何をしていたのか誰も知らないらしい。大学院とか教職に就いたとか色々言われたらしいが、結局は〈親の遺産を食い潰している〉というストーリーに落ち着いているようだ。それが、誰もが納得する筋書きなのだろう。
 だが、わたしには彼がなにも無作為にご両親の遺産を食い潰しているとはどうしても思えない。それについては、根拠というほど確たるものではないが、彼とのあるやり取りが思い出される。
 当時、わたしたちは中学三年生で、高校受験を控えていた。同じ高校を受ける生徒が一つの教室に集められ、受験当日に関する連絡か何かを受けていた時のことだった。付き添いの先生が話をしている最中も、トモミツ君はノートを広げ、熱心に何かを書き込んでいた。それが連絡事項のメモでないことは、隣に座っていたわたしにはわかった。
 彼は、大学ノートを文字で埋め尽くさんばかりの、文章を書いていたのだ。
「一生懸命、なに書いてたの?」
 解散となった後でわたしが訊くと、彼は特にもったいつける風でもなく「小説」と答えた。
「小説」わたしは繰り返した。身の回りにそんなものを書いている人は、少なくとも書いていると公表する人はいなかったので、素直に驚いた。「すごいね」
「すごくない。書くだけなら誰でも書ける。すごいのは、他人に面白いと思われるものを書ける人だ」
「トモミツ君は、小説家になりたいの?」

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