小説

『彼の猫』斉藤高谷(『山月記』)

「俺は小説家になるよ」
 それはまるで「明日は火曜だよ」「ここは地球だよ」と同じような言い方だった。
 彼は、小説家になったに違いない。いや、あくまでこれは「そうであってほしい」という、わたしの願いだ。だが、あれほど当たり前のことのように言ってのけた夢を、是非とも叶えておいてほしかった。
 そうでなければ、この世に叶う夢などない気がしてしまう。

 彼の家は灯りが点いていなかった。一応呼び鈴を鳴らして、応答がなかったら帰ろうと思ったら、門が開いていた。夜風に揺られてキイキイ音を立てる門扉に誘われるように、わたしは敷地内に足を踏み入れた。
 玄関のドアには鍵が掛かっていた。少し待っても、誰かが開けに出てくる気配もない。それで諦めるという気持ちは少しも湧かず、庭の方へ回ってみることにした。子供の頃、彼の家の縁側で、西瓜を食べさせてもらった記憶が不意に浮かんだのだ。
 月明かりに照らされた庭は雑草が伸び放題だった。子供の頃に飛ばした種から西瓜が芽を出していそうだ。探せばあるのかもしれないが、その前に開けっぱなしの縁側が目に入った。
 不用心な、と侵入者の身で思っていると、部屋の奥で何かが動いた気がする。闇の奥へじっと目を凝らすが、パソコンやスマホで酷使されたわたしの視力では正体はわからない。ただ何となく、小さな動物がうずくまっているように見えなくもない。
 あ、そうだ。スマホ。
 スマホのライトで照らそうと、デニムのポケットから抜き出した。画面を操作し、室内へ向けると、「やめろ」と声が掛かった。
 咄嗟にやめはしたものの、声の主が把握できない。恐怖が一拍遅れて、足元から這い上がってくる。
「そのまま回れ右して帰ってくれナ」声は、闇の奥から聞こえてくる。
「……トモミツ君?」わたしは小石を投げ込むような気持ちでそちらへ呼び掛ける。
 返事はない。だが、誰かがそこにいて、考え込んでいるような気配はある。
「ほら、わたし。覚えてない? 家が近所で、幼稚園から高校まで同じだった」
 わたしが名乗ると、呻くような曖昧な声が返ってきた。覚えられてないのかと少なからずショックではあったが、トモミツ君と再会できた喜びも確かにあった。
「勝手に入ってきてごめんね。灯りが点いてないのに門が開いてたから気になって」わたしは、今さらながら繕うように言った。「どうして電気消してるの?」
「消してるわけじゃないナ」

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