小説

『人間瓶詰』柿沼雅美(『瓶詰地獄』)

 これは開けたくなったけれど、いざ瓶の蓋を開ける時、一瞬だけ躊躇した。光一郎は本気だったはずだから。手を止めたまま1分くらいぼんやりして、結局開けないでガラス越しに中を見た。
 親指の爪くらいの薄いピンク色のコンドームの切れ端が入っていた。相性がいいってこういうことを言うんだろうかと思ったからだった。爪で端を切って持って帰ろうとしたけど伸びに伸びてできなくて、光一郎がちょっと寝ている間にゴミ箱から取り出して、眉毛を整える用のハサミでやっと切れたのを思い出した。ちょっと笑える。
 髪の毛が入っている。あぁこれは、渋谷を歩いているときに肩に落ちていた髪の毛を払うふりをしてポケットに入れたやつだ。えりあしあたりの短い髪の毛。わたしよりも黒くて太い髪の毛。
 唇の皮が入っている。これはキスをした時に私の下唇にひっかかって、指でやさしくむしってあげたやつだ。やわらかくて透明な唇の皮は、垢の色にくすんでカピカピして見える。
 くしゃっとまるまったプラスチックみたいなのはコンタクトレンズだ。すっかり乾いて、繊細なガラスのオブジェみたいに見える。ごみが入って外したコンタクトレンズを捨てとくねって言って受け取ってティッシュに包んで大事に持って帰ってきたのだ。本当は、私を見つめてくれて私とは違う世界の見方をしている目ん玉が欲しかったところだけど、そもそも瓶の口に入らないからコンタクトレンズにしたのだった。
 光一郎は好きだったけれど、その好きがただの好きだと気付いて絶望した。体の奥がむずがゆくなるような、彼が映っている写真を見るだけで泣きそうになるような、私の顔に触れる指を口のなかに入れたくなるような、そんな沸き上がる感情とは少し違った。その少しに私は絶望して、そんな私に光一郎はわけもわからず距離を置いた。
 光一郎と離れた時は泣いた。泣いたけれど、それは光一郎の存在が薄くなることに泣いたのか、ただなんてことない話を毎日する人がいないことに泣いたのか、自分でも分からなかった。光一郎が好きで泣いたのか、寂しくなった自分に泣いたのか分からなかった。
 汚れた分、私は私を瓶に詰めた。削れていくものをちゃんと失くさないように、清純を瓶に詰めていた。それが修一の教えてくれたことだった。
 *
 或る静かに晴れ渡った午後、ホットケーキを焼いて食べたあとで、二人で床に足を投げ出して、窓の向こうに見える白い雲を見つめているうちに、あやかに見つめられた。
 その時に僕がどんな顔をしたか、僕は知らない。ただ死ぬほど息苦しくなって、張り裂けるほど胸が轟いて、なにも返事をしないまま立ち上がるとそろそろとあやかから離れた。そうしてキッチンの隅で、ひざまずいてひれ伏した。
 あやかはまだ何も知らない。僕が父の子供ではないことを。神様、あやかは何も知らない。だから、あんな顔を僕にするんだ。どうかあの子を何があっても罰しないでください。そしていつまでもいつまでも清らかでいられるようにお守りください。
 その日と今も何ら変わらない。さっき部屋のドアの隙間から、あやかが自分の部屋に帰ってきたのを見て、またこんな気持ちに駆られている。

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