小説

『人間瓶詰』柿沼雅美(『瓶詰地獄』)

 だからあぁ神様、僕はどうしたらいいのでしょう。どうしたらこの悩みから救われるでしょう。僕が生きているのはあやかにとってはこの上もない罪だ。けれど僕が死んでしまったら尚更深い悲しみと苦しみをあやかが背負うことになるかもしれない。あぁ僕はどうしたらいいのでしょう。
 あの、フローリングにしゃがみこんでいる膝のかわいらしさ、月明かりを受けて橙色に輝いている少女の背中の神々しさ…‥‥ずんずんと夜が更けて星の高まりに、黒髪の先が躍るのも気づかずに、どこから連れて来たかもしれない夜風をまといながら歩くその気高さ‥‥‥まぶしさ‥‥‥。
 僕は体を石のように強張らせながらしばらくぼんやりとしていた。そのうちあやかの部屋からかすかに聞こえたガラスのぶつかる音にハッと飛び上がった。
 そのままあやかの部屋をノックしないで開けると、部屋にはサイダーの瓶が儀式のように置かれていた。あやかは驚きと後悔の表情で僕を見上げた。
 僕は急いで自分の部屋に戻り、ベッドの下の箱を引きずり寄せて抱き上げてあやかの部屋に戻った。
 今日も何も言わないあやかの前で、箱の蓋を開ける。あやかの瓶の十分の一くらいの大きさの手のひらサイズの透明な瓶が20本近く入っている。
 あ、とだけ言って、あやかは箱の中の1本1本をつまんで下から瓶を覗き込む。
「これは?」
 そう言うあやかに、答える。
「それは10年前」
 当時付き合った女の子の唾が入っている。
「これは?」
「それは9年前の、使用済みのつけまつげ」
「これは?」
「それは3年前、タピオカが流行ったときのタピオカ用のストローの上の部分を切った」
「これは?」
「それは1年前、その時の子がいなくなる寸前に壁に投げて叩き割ったスマホのマイクロチップだ」
「これは?」
「それは1か月前、その日だけの女の子がラブホテルの洗面所に捨てたコンタクトレンズだ」
 僕が言うと、あやかがふっと笑って、おんなじ、と言った。
 開けっ放しのあやかのクローゼットには、僕が買ってきたシャツやスカートが圧縮されたようにハンガーから垂れ下がっているのが見える。あやかが成長して自分で遠くへ出かけられるようになった頃、すべてに付いてまわるわけにはいかないからせめて服をあげた。僕のあげた靴で階段を降り、僕のあげた財布でアイスを買い、僕があげたおしゃれメガネで街を見る。
 たとえ知らない男の家やホテルに上がり込んでも、僕のあげた靴下がその床を踏み、男の手が脱がすスカートは僕のあげたもの、抱かれた体をまた包むのも僕があげたもの。
 あやかが立ち上がろうとして足でサイダーの瓶を蹴った。あ、と思ったときには瓶は転がって壁にぶち当たってパリンと音を立てて割れた。
 痛くない?とあやかの足首を掴むと、その腕をあやかが掴んだ。冷えた足と熱い手のひらがドクドクと轟く。
 僕たちの清純が、割れて、溢れだした。

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