小説

『万死に一生の夢』文城マミ(『死神の名付け親』)

 しばらく目を閉じて、開けてみる。ここは僕の部屋だ。街灯の光でかろうじて部屋の中の輪郭が浮かび上がる。
 死のうと決心してからもう10分くらい経っただろうか。
 僕は1週間程前に会社に行かなくなった。もちろん何の連絡もしていない。携帯も切ってある。僕が最後に見る景色は、このぼんやりとした輪郭の、暗く汚い部屋だと思うと、この決断は間違っていなかったと妙な自信が生まれる。
「おい」
 妙な幻聴まで聞こえてきた。さて、どうやって死のう。首を吊るか?でもどうすれば良いのか方法もわからないし、調べる気力もない。どこかから飛び降りようか?でも外に出るのも嫌だな。死ぬのって意外と面倒だ。
「おい、お前」
 さっきよりハッキリと聞こえた。かすれた老人の声だ。部屋の隅にじっと目を凝らすと、ぼんやりと人型が見える。窪んだ瞼にギラリと光る目、色の悪い唇に痩せこけた身体がだんだんと浮き上がってきた。汚い布切れみたいな服を纏っており、反射的に息を止めてしまう。
「こんにちわ」僕は息を止めつつ挨拶をした。知らない人が部屋にいるのだから、人間だろうが幽霊だろうが、とりあえず挨拶しないと。死を決断した人間に怖いものは無いようだ。
「お前、死にたいようだな」
 僕の挨拶は無視され、その痩せこけた眼光鋭い老人は続ける。
「お前は死ねないよ。どう頑張ったって死ねない」
 いきなり核心を突かれて、声が出ない。
「お前はそういう運命なんだ。お前の寿命はまだまだ長い」
「あなたは誰ですか?」
「俺か?俺は死神だ。この世の全ての人間の寿命が分かる。もし本当に死にたいと思うなら、もうすぐ寿命を迎える人間にお前の寿命を分けてやれば良い」
「そんなことできるんですか?」
 死神は一歩前に進む。僕の足先と死神の足先が近づく。死神は血管の浮き出た老人らしい腕を振り上げ、掌を僕の目の辺りにかざした。すると突然僕の瞼は重くなり、意識が遠のいた。
 辺り一面、おびただしい数の蝋燭が立っている。短いものから長いもの、今にも消えそうなものもある。火がゆらゆらとゆらめいていて、目が眩みそうだ。
 僕がこの光景に圧倒されていると、死神が耳元で囁いた。
「これがお前の蝋燭だ」
 死神が指差した蝋燭は、すっと凛々しく真っ直ぐで、煌煌と火を灯した美しい蝋燭だった。これが僕の蝋燭。僕の今まで生きてきた人生とはおおよそ真反対とも思える、堂々とした立派な蝋燭だった。

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