小説

『万死に一生の夢』文城マミ(『死神の名付け親』)

 僕は木の実を受け取った。絵美は僕の深刻そうな顔を見て少し笑い、共犯者が出来た事を喜んでいるかのように見えた。
 結局僕らは死ななかった。むしろ、木の実は甘酸っぱくて美味しかった。
 僕はその日から、何度もあの出来事を反芻していた。僕に向けられた視線、笑って目を細めた時の彼女の目元のシワ。
 絵美は木の実を食べた後に言った。
「フジオ君と居ると楽しい」
 フジオ。僕の名前だ。久しくその名を他人から聞いていなかった。彼女の発した僕の名前は、僕の名前とは思えないほど綺麗な響きをしていた。僕はその時、今死んでしまえれば最高なのにと心底思った。彼女は僕を好きなんだろうか。一緒に居ると楽しいとは、どういう感情だろう。こんな事を考えては眠れなくなり、当てもなく夜道を歩いたりした。期限の日が近づいていた。
 花屋での最後の仕事を終えた夜、家に帰って僕は暗い部屋で一人、体育座りをして待っていた。何だか予感がしたからだ。 
「気持ちは決まったか」
 死神が現れた。完璧なタイミングだった。
「あの女に寿命を分けてやるのか?」
「僕は・・・」
 言葉が上手く出てこない。本当の思いを口に出してしまえば、僕の中の黒い感情が溢れてしまいそうだった。
「僕は、死にたくない」
「なんだ。話が違うぞ」
「すみません。でも、僕は死にたくない」
言ってしまった。そうだ、僕はもう死にたくない。
 何度も思い出したくなる瞬間なんて、これまでの人生で一度も無かったのに。あの日から、僕の中で何かが変わってしまったのだ。
「でも、お前が寿命を分けてやらなければ、あの女は死ぬぞ。それでも良いのか」
 そう。分かってる。そんなことは。でも、僕は死にたくない。あの高揚感に満ちた経験をする時が、僕の人生にも再び訪れるかもしれない。それに、僕の居ない世界で彼女だけ生きていくなんて考えたくない。僕は本当に最低の人間だ。そんなことは分かっている。
「ごめんなさい。約束を破って。でも、僕はまだ死にたくない」
 死神はうなだれる僕を見下ろし、愉快そうな調子で言った。
「だからお前の寿命は長いんだ。お前みたいなやつはなかなか死なないぞ」
 僕が顔を上げると、死神の姿はもう無かった。僕は暗い部屋でまた一人きりになっていた。ふと横を見ると、床に置き去りになっていたバケツの中で、いつかの花束が朽ち果てていた。

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