小説

『息子帰る』鹿目勘六(『父帰る』)

 その息子を父は、厳しい家計の中から東京の大学まで進学させてくれた。就職する時も母親は戻って来て地元の役所に勤めるよう泣いて頼んだが、父は息子の希望通り東京の大手の会社に就職することを認めてくれた。
 父は学歴こそ無かったが、職人気質で息子の事を一番に考えていたのだ。康一は、自分が子供を持つ身になって、あの時の父の気持ちが良く分かる様になった。
 父の額に手をあてながら回復してくれと心より願った。
 一時間位父の傍にいた。それから実家へ行った。五年前に母が亡くなってから父が一人で住んでいた家は、降り積もった雪に閉じ込められていたが、門から辛うじて人が通れる位の除雪がなされていた。志乃夫婦が看病の合間にしてくれたものだろう。玄関を開けると深い闇と静寂の中から湿った空気と冷気が康一を包んだ。人が棲まないと家は、この様になる。この家に暖かい明りと家族の団欒があったこと等、信じられない淋しさだ。
 次の日は、朝から病院へ行き父の傍に付き添おう。そして志乃達にお礼を言おう。日曜日の午後には、また東京に帰らなければならない。

 その翌週の金曜日も父の元へ帰った。さすがに中年の下り坂にいる康一には、肉体的に厳しかった。会社で仕事をしていても睡魔に襲われることもあったし、頭の回転が鈍くなっていることを痛感させられることもあった。
 いつまでこのような状態が続くのかと不安が膨らんで来た頃、父は遂に生命の灯を燃え尽くしてしまった。その連絡を志乃から受けた夜、康一は、覚悟はしていたが、全身の力が抜け喪失感に襲われた。
 しかし、どこかで父は病苦から解放されて母の元へ往ったとの安堵感もあった。

 康一は、直ぐに妻と共に車で故郷へ向かった。雪道での交通事故に注意しながら慎重にハンドルを操作する。そして、これから対処しなければならない事柄を心の中で整理していた。
 長男の康一は、当然に喪主になる。父のための最期の親孝行だ。まずは親戚への連絡と葬儀の段取り、そして死亡に伴う各種手続き、更には相続や実家をどうするかも方向性を決めなければならない。考えただけでも頭がパンクしそうだ。
 朝未だ暗い内に康一は、病院に着いた。入院していた病棟のナースセンターで確認すると、地階にある霊安室へ案内された。父は、入院していた時の苦しそうな表情を一変させていた。無精ひげを剃ってもらい髪にも櫛が入れられていた。そこには、自分の人生を精一杯生き抜いた男の安心立命の顔があった。額に触れてみると微かながら未だ温もりがあった。
 しかし、もう生きていない。康一は、父の亡骸を抱いてしばらく嗚咽した。

 葬儀までの日々は、慌ただしかった。葬儀関係の手配は、志乃が選んだ地元の葬儀社に依頼した。喪主の仕事は、葬儀会場の広さやグレード、香典返しの品物を何にするかを決める位であった。

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