小説

『桃太郎の旅立ち』中村久助(『桃太郎』)

 鬼ヶ島に行くためにはまず近くの港まで向かい、そこからは船で移動する。船は昔おじいさんが魚を釣るために使っていたものが港に置いてあると聞いている。
 一日では港に着かず、その夜僕は初めて野宿をした。地面を背にして、どこまでも続く星空を仰いでいると、僕は何だかどこへでも行けるような気がした。しかし、現実では、鬼ヶ島に行って、鬼と戦って死ぬ運命だけが、僕を待っている。

 おじいさんの船は小さかったが、想像していたよりも丈夫そうだった。これなら鬼ヶ島に着く前に船が壊れて溺れ死ぬことはなさそうだ。古い船のようだったので、心配していたのだ。
 何日かかかって、僕は鬼ヶ島に到着した。幸運なことに、嵐などにも遭わず、穏やかな航海だった。
 船を降り、鬼ヶ島の土地に足を踏み入れると、僕は目を見張った。
 鬼ヶ島は、ハイカラな町だった。
 鬼たちはきらびやかな布でできた服を美しく身にまとい、賑やかに立ち並ぶ様々な店からはいい香りが漂ってきたり、活気ある鬼たちの声が楽しそうに聞こえてきたりした。
 あっけにとられ、鬼退治という目的を忘れて立ち尽くしていると、突然周りが騒がしくなり、あっという間に僕は衛兵のような鬼たちに拘束され、大きな城へと連れて行かれた。鬼たちの力は強く、持ってきた小さな刀はいつの間にか奪い取られていた。
 豪華な装飾の施された城の中で僕は、他の鬼と比べて倍ほども体の大きな赤鬼の前に立たされた。
 赤鬼は恐ろしい顔で僕に
「君は人間だね。鬼退治に来たのか?」
 と問いかけた。僕は、
「そうです。あなたたちが人間から物を奪ったり、人間を喰ったりするので、退治するように言われてきました」
と正直に答えた。どうせ殺されるのだから、嘘をついても無駄だと思った。
 赤鬼はそうか、と冷静につぶやき、
「我々は人間に一度たりともそんなことをしたことはない」
 と言った。
 僕は意外な言葉にまごついた。
「人間は、物事をイメージだとか、評判だけで決めつけるきらいがある。実際君は鬼を見たこともないのに鬼を悪だと決めつけて退治しに来た。ああ、乱暴なやり方で君をここに連れてきてしまったのはすまなかったね。刃物を持っていたようだったから致し方なくてね」
 僕は、この町で一番野蛮なのは自分だったのではないかと感じて俯いた。
「いやしかし、君は死ぬかもしれないのに、どうして一人でここまで来たんだ?武器だってあんな小さな刀しか持っていなかった。到底鬼を退治できるとは思っていなかっただろうに」
 赤鬼は本当に不思議だという顔をした。

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