小説

『コウソクロード』香久山ゆみ(『ウサギとカメ』)

 毎日出勤しては真っ直ぐ帰宅の繰り返し。休日に遊びに行くような友人もいないし、帰りに酒を酌み交わすような気の置けない同僚もいない。もちろん恋人も。結婚に焦りを感じる時期もあったが、自分から動くことをしなかったので、結局独り身のまま今に至る。真面目で不器用で雁字搦め、地味で平凡でつまらない人生。特に生徒に慕われるでもない。生徒から同窓会に呼ばれるようなこともさほどない。時々思い出したように声が掛かる程度だ。
 兎丸のような奴にはどう足掻いても追いつけない。憧れと憎しみは背中合わせ。いつか失敗すればいいと思う自分がいる。いつか足元掬われろと。
 そんな屈折した感情から同窓会に出席した。
 けれど斜陽どころか、兎丸は輝かしい成功の真っ只中にいた。僕なんかがどれだけ手を伸ばしても届かないような。
 しょせんカメがどれだけ懸命に走ったところで。息せき切らして、ふと顔を上げると、もうそこにはウサギの影も形もない。きょろきょろと振り仰ぐと、あなや。ウサギは月で餅を搗いている。カメはあんぐりと見上げるだけだ。もはや感心するより他ない。そこでさあ、それでは自分は自分で進みますかと気を取り直したところ、カメは愕然とする。自らの目指すべき道が分からないのだ。カメは懸命に走ってきた、ウサギの背中を追って。ゴールの場所すら把握せぬまま。だからウサギからはぐれたカメはゴールさえ見失ってしまう。いやそもそも彼は何に向かって走っていたのだろうか。カメの目指すゴールなんて本当にあったのか。
 同窓会の帰り、ふらりと美術館に寄った。現代美術の展覧会が催されていたが、強く自己主張する作品はどれも眩しすぎた。
 館内を足早に進む足が、ふと止まった。
 その作品は大字の書道作品だった。身長より高く両手を広げても余る程の大きな額縁にどんと漆黒の野太い墨文字が鎮座する。いや、解説を見るまではそれが文字だとさえ判別できなかった。
――『愚徹』――
 海外の展覧会にも出品された井上有一の書。愚に徹する。作品の前に立つ。額ガラスに反射して黒い文字の部分に自分の姿が映る。愚徹の中に僕がいる。僕は、愚徹だ。愚に徹せよ。愚鈍なまでに直向きに。ただこの道を行くしかない。辛い時もたった一人でどうにかしようとしてきたから、いつだって上手くいかなかったけれど、なんとか今こうしてここにいる。まだ立っている、まだ進める。
「先生のお蔭で国語が好きになった」
「目立たない私達のことを見てくれる先生がいるから、毎日学校に来られた」
 時々、そんなメッセージをもらう。

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