小説

『コウソクロード』香久山ゆみ(『ウサギとカメ』)

 カツサンドを摘まむ。接点のなかった者同士の会話は弾まない。
「月、行くの?」
「月、行くよ」
 俺は月へ行く。誰かの作ったロケットで。
 月から見下ろすと、カメの足跡はくっきりとその軌跡を描いているだろう。しかし、跳ねるように駆け抜けたウサギの足跡は地上のどこにも残っていない。足跡のないウサギは一体今どこにいるのだろう。
 時流に乗って突き進んできた。が、俺は何を残したか。誰かが作ったロケットで月に行って、それが何だ。
「……俺、どこへ行くんだろうなあ……」
つい呟きが漏れた。亀岡が反応する。
「かっこいいじゃないか、ドウテイみたいで」
「誰が童貞だ」
 つっこんでみたが、無反応。
「兎丸はいつでも皆の先を行くだろ。皆に道を作ってくれている。その背中を見て頑張れる奴もいるんだ。僕はいつも追いかけてばかりだから、――憧れるよ」
 亀岡が、溜息を吐くように言った。
 と、舞台袖で幹事が俺を呼ぶ。行かねばならない。
「それじゃあ、亀岡。サンキュウな。サンドイッチと、高村光太郎」
そう言うと、亀岡は微笑んだ。高村光太郎の詩『道程』――『僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる』。
「あ、それから」
 立ち去りかけた足を止めて、亀岡を振り返る。
「俺、亀岡のあとを追いかけたことあるぜ。運動会の時」
 それだけ告げて舞台へ駆けた。一足飛びで階段を上がる。壇上からは皆の顔が見える。皆、俺を見ている。会場の隅では亀岡がしきりに首を捻っている。俺は進む。マイクの前に立ち、宣言する。
「俺は、月へ行きます」
 迷いを振り切るように、真っ直ぐに。ロケットは飛ぶ。光速に近づく速さで。

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