小説

『負け惜しみはもう言わない』渡辺鷹志(『きつねとぶどう』)

「受験ならまたがんばればいい。それより、いいのか行かなくて。ここで行かないと、これから先もうみんなに会えないかもしれないんだぞ」

 男性の声を聞いた男の子は、誘いのメールをじっと見た。
 すると、急に自分の手が勝手にメールを打とうと動きだした。
「みんなはお前が受験に落ちたことなんて気にしていないぞ。カッコ悪いなんて思っているのはお前だけだ。さあ、行きたいんならそう返事をするんだ」

 その声に後押しされるように、男の子は「行く」と返信のメールを書いて送った。
 男の子と同級生の交流はこれ以降もずっと続いている。

 スーツ姿の中年サラリーマンの男が飲み屋で自暴自棄になっていた。
 男はこれまで何十年も勤めていた会社を急にクビになったのだった。大量のお酒を飲んでべろんべろんに酔っぱらっていた。
「サラリーマンなんてやってらんねえよ。あいつら馬鹿だよ。会社の奴隷になってみじめなだけだよ。もう働くのなんてやめてやる!」

「本当は一生懸命働きたいんだろ?」

 男がやけ酒を飲んでいると、一人の男性の声が聞こえてきた。
「あー、何だと、この野郎!」
 男は自分の周囲を見たが、近くには誰もいなかった。

「本当は働くのが好きなんだろ? これからも好きな仕事をして働き続けたいんだろ?」

「うるせえよ、この野郎! お前に何がわかるんだ!」
 男は怒鳴り散らした。

「きちんと仕事がしたいなら、こんなところでいつまでも自棄になっていちゃダメだ。今日は家でゆっくり休んで明日から新しい仕事を探すんだ」

 その声を聞いた瞬間、男は一気に酔いが覚めていくのを感じた。
「明日からまた仕事を探すぞ!」
 男は間もなく次の仕事を見つけ、毎日やりがいを感じながら一生懸命働いた。

 ある家のベッドに、間もなく死を迎えようとしているおばあさんがいた。
 おばあさんはたくさんの家族に囲まれていた。みんなは悲しそうにおばあさんをじっと見つめていた。
 もうすぐ亡くなるというのに、おばあさんは笑顔だった。家族みんなに「ありがとう」と何度もお礼を言っている。
 そのままおばあさんは目をつむった。

 目をつむった瞬間、おばあさんは天に向かって「ありがとう」とつぶやいた。

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