小説

『なんともまぁ狭き世界で』太田純平(『如何なる星の下に』高見順)

「脚本。ドラマの」
「あぁ、まぁ……」
 仲見世通りへ向かう途中、不意に彼女に訊かれて戸惑った。正直ほとんど書いていない。私は大学を卒業した後、ろくに就職もせず脚本家――いわゆるシナリオライターを志した。毎年テレビ局のコンクールにシナリオを出しては一次選考で弾かれ、あれよあれよという間に三十路になった。
「アタシらも長いよね」
「え?」
「知り合ってから――もうじき十年でしょ?」
「……」
 顔だけ懐かしみ、心はダメージを負った。何も成し遂げずにもう十年経つ。
「なに」
「へ?」
「深刻な顔して」
「いや、別に……」
 こちらの曖昧な態度が終わらないうちに、また彼女が体をぶつけてきた。彼女の体当たりには、気まずい空気を打破する力がある。十年前、同じ飲食店でアルバイトをしていた時からずっとそうだった。
 流れに任せて仲見世通りに入った。人、人、人である。「食べ歩きは最初に何を食べるかが肝心」という話をしているそばから、彼女はふらっと人形焼きの列に並んだ。二個で百円だった。食べ歩きと言っても仲見世通りは食べ歩き厳禁だから、脇道に逸れて人形焼きを食べた。個包装されていたのでゴミが出てしまったが、こういう事もあるだろうと思って、事前にゴミ袋を用意してきた。ウエストバッグからゴミ袋を取り出すと、彼女がジトっとした目で私に言った。
「そういうとこだよね」
「え?」
「そういうとこ」
「何が? 神経質だって?」
「違う」
「じゃあ何?」
「……」
 彼女は「さァなんでしょうねぇ」とでも言いたげに口角を上げると、気を変えたように「今いるんでしょ?」と謎の質問を投げ掛けてきた。
「いるって? 何が?」
「好きな人」
「……」
「この間LINEで言ってたじゃん。何だっけ、会社の人?」
「……まぁ」
 私の頭に、急に鈴木百合亜さんの事がきた。百合亜さんは、私が勤めている会社のOLである。歳は二十代半ば。笑顔が素敵なぽっちゃり女子だ。
 私が勤めている会社――と少し格好をつけてしまったが、私は所詮、しがない警備員である。大企業の玄関口に立ち、朝は「おはようございます」、夜は「お疲れ様でした」と言うくらいしか能が無い。
 百合亜さんはいつも朝九時二十分に出社し、夜八時に退社する。挨拶こそするが、しゃべった事は一度も無い。見た目がタイプ、という理由だけで好きになったが、決して仲間の警備員がいつも言っているような「一発ヤリたい」なんて気持ちは微塵も無い。私はあくまで純粋に百合亜さんの事を――。

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