小説

『走れタカス』吉田猫(『走れメロス』)

「高須が優勝しなくてもあたしは殺されなかったけどね」
 髙須はちょっと微笑むと妙に真面目な顔で私に言った。
「でも俺は本気だったよ。この日のために死んでもいいと思って走ったんだ。だからここにいるんだぞ」
 偉そうに喋る高須を見ながらゴール後のあのくしゃくしゃの顔を思い出すと急に涙が出るくらい可笑しくなって久しぶりに思いっきり笑った。
「なんで笑うの?」と言いながら高須もうれしそうに笑った。

 日が沈みカフェから見える風景が夜景に変わるころ高須は「さあ明日から受験勉強だ。今日はありがとう、送っていくよ」と言った。その後の高須は口をとじたまま何も言わなくなった。
 お店を出て何も喋らず駅に向かってゆっくり歩いていると、このままで帰るのがなんだか急に淋しくなって駅の手前で思わず私は立ち止まり後ろから声をかけてしまった。
「タカス!」
 高須が振り向いた。少し間を置いて私は言った。
「明日もう一日だけ付き合ってよ」
 髙須は何も言わず私を見ていた。
「明日、両親も出かけて誰もいないからうちに来て」
 小さな声で下を見ながら言った後、顔を上げると「えっ」と絶句したままの髙須がしばらくしていつもの泣きそうな顔になるのが見えた。

 それから高須と外で会うことはほとんどなかった。あいつが受験勉強に専念するためだ。その甲斐もあってか高須は第一志望の東京の大学に合格した。
 私と言えばその間、高須が教えてくれた本を読み続けた。高須には気恥ずかしくて言えなかったけれど世界が少しだけ広がったような気がしていた。

 卒業式の後、高須は貯金で買ったピアスのプレゼントをくれた。
「俺はアカリさんを絶対迎えにくるから。俺、今は頼りないけど、ちょっとは頑張ってみるから」
 でも私はわざと少し微笑んで高須に言った。
「無理しなくていいよ。東京で可愛い彼女見つけてうまくやんなよ」
 半分本心だった。真面目な髙須とあまりに釣り合わない私は、この先いつの日か嫌われるんじゃないかなって、いつの間にか怖くなっていたのだと思う。
「アカリさんはいつもそうだ!」
 高須が怒り始めた。
「俺は本気なんだ。マラソンの時もそうだった。今だってそうだ。冗談で言ってるんじゃないぞ」
 髙須はいつもの泣きそうな顔なのに本気で怒っている。

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