小説

『走れタカス』吉田猫(『走れメロス』)

 周りの教師たちが驚いて私を見ている。日頃何も喋らず不機嫌な私が急に大声で、それも目立たない地味な高須の名前を大声で叫んだからだろう。でもそんなことどうでもよくなった。
 いつの間にか今にも崩れ落ちそうな高須の横を並んで走り始めて、また叫んだ。  
「走れ!タカス!ヤリたいんだろ!」
 その声があいつの耳元まで届いたのか高須は一瞬私を見ると前を睨んで「くそ!ヤリてえ」と呟いた。それから、どこから出しているのかわからない唸り声とともに猛然とラストスパートを始めたのだ。
「いけえ!タカス!走れ!」後ろから大声で叫んだ。
 その勢いのままグラウンド半周地点で7位の男子を抜き去った。ゴール前でついに6位にも追いつき、その勢いは止まらず結局高須は5位でゴールに倒れこんだ。
 後に入って来る生徒のじゃまになるから先生たちが起こそうとしたが大の字で倒れたまま動こうとしない高須。仕方なく男の先生たちに両腕を掴まれて引きずられるようにしてコースから外に運び出された。
 用意されていたペットボトル入りの水を持って高須にそっと近づいた。
 倒れたままの高須を上から覗くように見ていたら高須は薄目を開けて私に気がつき体を起こした。もう顔も頭もくしゃくしゃになっている。
「アカリさん、俺……、俺、何位なの?」
「5位だよ」
 ペットボトルを差し出すと高須はそれを受け取り「5位……」と呟いた後一気に半分くらい水を飲み干した。そのペットボトルをしばらく握り締めて、やがて私の目を見た。
「5位だよ。アカリさん。約束だよ」
 そう言って倒れるようにまた大の字になった高須の横に私も腰を降ろした。
 口にはしなかったけれどちょっと心が熱くなってた……。
「タカス、凄いじゃん」
 横から見ていると髙須はまた泣きそうな顔になった。いや泣いていたのかもしれない。

 その週の土曜日、約束通りに高須と一日一緒に過ごしてやった。映画を見てご飯を食べた。ゲーセンで遊んで海岸沿いを歩いた。
 歩き疲れて入った眺めのいいカフェで高須は言った。
「俺はあの時朦朧としていたけどアカリさんの声だけは聞こえたよ。走れ!タカスって。頭がぼんやりしてるのに不思議だけど、何故だか走れメロスを思い出した。響きが似てるからかな」
「それ昔読んだことある」
 ほとんど本を読む習慣はなかったけれど走れメロスぐらいは知ってた。
「俺は、太宰は大好きだけどあれは説教臭くてあまり好きじゃなかったんだ。でも誰かのために走るのは悪くないなって思ったな」

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