小説

『胎児の夢』和織(『ドグラ・マグラ』『青ひげ』)

「6人目の妻は、特別だったから?」
「そうだよ」
「でも、本当に、今のあなたに、6人目の妻が必要だったのかしら?」
 彼女の言葉に、男は意味がわからないという風に目を細めた。
「どうして夢に従わなくちゃならないの?どうして5人も人を殺して、私に会わなくちゃいけなかったの?」
 彼女にそう訊かれ、男はぼんやりと自分の両手を眺めた。そこにまだ、濡れた血が残ってでもいるように。冷たい風が吹いて、二人を包んだ。彼女は、自分の体を男に寄せ、目を閉じた。もう、何も怖くなかった。
「あの人は、6人目の妻に、人殺しの自分を愛してもらおうとした。あなたがその望みを叶えて、どうなるの?」
「・・・・・夢が、終わる」
「その夢が終わったとして、それで、どうやって今のあなたは救われるのかしら?これからあなた、どんな夢を見るつもり?」
 6人目の妻を追う夫を、彼女は思い返した。後を追ってくる警官に既に肩を打たれ、夫は血を流していた。苦しそうに床に膝をつくが、また立ち上がって、近づいてくる。夫の手には、ナイフが握られていた。行き止まりになって、妻は壁に背をつける。
「武器を捨てろ!彼女から離れろ!」
 夫に銃を向けた警官が言う。夫は振り向きもせず、じっと妻を見ている。
「あの扉は開けるなと言ったのに」夫は言った。「お前が言いつけを守れば、今も幸せに暮らしていたのに」
 夫は悲しそうな表情で、ナイフを振りかざした。同時に、妻が叫び、銃声。今度は胸の辺りを撃たれ、夫は倒れて、動かなくなった。夫がナイフを振りかざした瞬間、銃声と共に妻はこう叫んでいた。「撃たないで!」と。そして、動かなくなった夫の頬に触れ、こう言った。
「かわいそうな人」
 今、同じようにそう言って、夢のように彼女は男の頬に触れた。夫が自分を殺せなかったことを、わざと警官に撃たれたことを、妻は知っていたのだ。
 頬に冷たさを感じた男が、喰らいつくように彼女を抱きしめた。その瞬間、違う、と彼女は思った。これは、あの人ではない。同じくらいかわいそうな、別の人、と。
「あなたはあなたの夢を見て、私は私の夢を見ただけ。何が本当でも、自分以外の誰にも、自分を救うことは出来ないわ。私が夢を終わりにするから、あなたは、人殺しの自分を切り離してね」
 彼女がそう言うと、男の腕の中で、急に彼女の体が重くなった。彼女は、眠っていた。男は彼女を部屋まで運んで、ベッドに寝かせた。次の日も、その次の日も、彼女は眠ったままだった。その次の日も、次の日も、ずっとずっと、眠り続けた。

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