小説

『七番目の地蔵』裳下徹和(『笠地蔵』)

「たえさんも伍助も、立派に生きた…」
 その声に振り向くと、村長がたえを見下ろしている。その目に涙はないが、たえへの暖かい情は感じ取れた。
 私に伍助の死の秘密を知られぬよう、村人がたえを殺したのだろうか。そんな疑惑も浮かんでくるが、遺体に殺された形跡はないし、死を悲しむ姿は本物に見える。
 内心の動揺を悟られぬよう、私はたえに向け念仏を唱えた。

 その晩は村に泊めてもらい、次の日、私は町へと出ることにした。伍助の足取りを調べる為だ。
 まず、伍助が笠を売っていたという商店に行ってみたが、しばらく伍助は訪れていないという返事をもらう。
 次は質屋へと向かった。
 一癖ある店主と話し込み、伍助が刀を質に入れたこと、ねずみ除けの口実で殺生餅を買ったことを突き止める。
 私は質屋を出て、餅屋を訪れた。
 やはり伍助は大晦日に餅を購入していた。しかもかなりの量だ。老人二人が食べ切れる量ではない。村中に餅を配ったのは伍助だ。
 情報はそれなりに得られたが、一つ一つの情報がつながらず、全体像が見えてこない。
 解けない謎に頭を悩ませたまま、町中にある寺へと足を運ぶ。伍助がよく行っていたらしい。
 ここへ来た理由を住職に説明すると、寺の奥に飾られた地獄絵図の前に通された。
 地獄に堕ちてもだえ苦しむ人々が生々しく描かれている。
「伍助さんとは、どのようなお話をなされたのですか?」
「色々な話をしましたが、特に念入りに訊いてきたのは、自殺したらどこの地獄に行くかですね」
 自殺。
「それと、まだ小さい子供が死んだらどこへ行くのか訊かれましたね。親より先立つのは最大の不孝なので、賽の河原で石を積み続けるのだと教えました」
 親より先に死んだ子供は地獄に堕ち、賽の河原で石を積み上げ続けるのだ。ある一定の高さまで積めば、極楽へと行けるのだが、その前に鬼に崩されてしまい、いつまでも終わることの苦行を続けていくのだ。
 地獄絵図の端に、賽の河原の様子が描かれている。これを見て、伍助は何を思っていたのだろう。
 私は住職に礼を言い、村へと帰った。

 昨晩と同じ家を借り、そろそろ床に入ろうかと思っていた時、雪を踏みしめる足音が近付いてきた。
 七番目の地蔵か。
 体を強張らせていると、村長が入ってきた。少し酔っているようだ。
「伍助の件は、何かわかったかね」

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