小説

『昏い春よ、』小樽ゆき(『蒲団』)

 赤に濡れた肉をぼんやりと眺めながる。吐精感よりも一瞬早く訪れた喪失感が、思考をすべて黒く塗りつぶす。私の体温を吸ったメスが手の中から滑り落ち、床に当たってがらんと音を立てた。追いかけるように膝をついた私の足元に、桃色の花弁が舞い降りてくる。
 こみ上げる嗚咽が、呼吸を奪う。色の変わったスラックスを涙が更に濡らし、その範囲を広げた。
 これは恋ではなく、美しいものを愛しむ気持ちだと、自らに言い聞かせてきた。決して恋などではないと何度も、何度も。あぁ、私が愚かだった。これが恋でないのなら何が恋か。これほどの欲を抱いていながら。
 もう戻らない季節、もう戻らない時間に絶望する。可憐で屈託なく笑う少女はもういない。不特定多数の男たちを喰らい尽くすような、邪な美しさをまとう少女も、どこにも。
 彼女は既に誰かのもので、誰のものでもない。
 愛であろうが、恋であろうが、全ては失う運命だったのだ。

 窓から吹き込んだ風が、骨格標本をけたけたと鳴らした。

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