三十分がすぎ、いよいよ業を煮やしたマスターが男に訊ねました。なにかお気に召しませんでしたか。男は答えます。失礼、夢中になっていて。そのスマートな返答が油を注いでしまったようです。若造が生意気な口の利き方を、とでも思ったのでしょう。バーは酒を飲むところです。マスターはぴしゃりと言い放ちました。ケータイを眺めたいのならファミリーレストランかコーヒーショップへでもいかれてはどうですか、と追い打ちをかけることも忘れてはいません。すごすご引き下がるかと思いきや、男は堂々と言い返しました。あちらのかたも本を読まれているようですが、と。たしかにカウンターの端には文庫本をひらいた常連客の姿がありました。本を読むのはかまいませんとマスターが口にした瞬間です、男はゴーゴリの『外套』の一説を読みあげながら、スマートフォンの画面をマスターの鼻面に提示したのです。
素直に謝罪するべきだったのではないでしょうか。ところが怒りにのまれたマスターにそんな余裕はありませんでした。文庫は可! 電子書籍は不可! そう声を荒らげたらしいのです。
そんなことどこに書いてあるのかと男も食い下がりますが、そこはやはり店なわけですから、最終的に席を立つのはマスターではなく男のほうということになります。サービスを受けてないんだからサービス料は払わない、と最後にまたひと悶着ありつつ男は店をあとにしました。いいえ。終わりではなく、話はむしろこれからです。
翌日の開店直後だったそうです。こりもせず男があらわれました。文庫本を二冊携えて。いちばん安い赤ワインをグラスで注文し、男は本をひらきました。前日のふるまいに引け目があったのでしょうか、マスターはなにも言いません。もちろん見習いの二人も。ほかの客が来るまでしばらくみんなの沈黙が店を包みました。じりじりと、それこそ時間が流れつつ焦げ落ちていくような沈黙です。六時間後、本を二冊読み終えたところで男がワイン一杯分の会計をすませます。一度満席になった店内も、そのころには閑散としていました。
男は翌日もAにあらわれました。一人ではなく四人です。みな文庫本を二冊ずつわしづかみにしています。マスターは来店を断りました。男たちがおとなしく引き下がったのは、表の看板に四名以上での来店を断る旨がはっきりと明記されていたからです。カウンターだけ十二席の店ですから、男たちも正当なルールだとみとめたのでしょう。
ところが、です。さらに翌日のこと、今度は三人組の客があらわれました。手にはこれみよがしに文庫本を携えているのですが、例の男の姿はありません。偶然かと訝りながら案内すると、やはり頼んだ酒には口をつけず、三人が三人とも読書にふけります。次にきたのも、その次にきたのも、本を手にした三人組でした。結局その日は三人組が四組、それぞれ一杯ずつ酒を飲み、店をあとにしました。みな閉店までいたので、ほかの客は一人も席につくことができませんでした。それにしてもアンナ・カレーニナ、カラマーゾフの兄弟、巨匠とマルガリータ、なぜロシア文学はああも長大なのでしょうか。厳しい冬には部屋で読書をするよりほかなかったからでしょうか。
さて、そんなことが一週間つづきました。さすがにマスターも手をうちます。『団体(二名以上)のお客様お断り』と表の看板に上書きしたのです。はい? ええ、おっしゃるとおりです。翌日から一人ずつあらわれるようになっただけでした。本を手にした客が。互いに口も利きませんから、団体客とみなすことはできません。みな似た顔をしていたそうです。歳をとると若者など同じ顔に見えるものかもしれませんが、見習いバーテンダーにも見分けがつきません。はじめの男がその中にいたのかもわからないと言っていました。お気づきかもしれませんがこの話はその見習いバーテンダーの一人から聞いたものです。