と声を荒げて詰め寄った。
「落ち着いてください。それは、懐中時計の件でしょうか。でたらめ、とはどういうことでしょう?」
丁寧に応じる青年に対し、夫人は興奮を抑えられないままで言う。
「主人は時計を気に入ったようで、いつも肌身離さず持ち歩いているわ。それにも関わらず、体調は健康そのもの。むしろ、以前よりも調子が良いくらいなのよ。話と違うじゃない!」
青年は少し黙って考え込む。そして、
「……もしかすると、ご主人はこまめに時計の手入れをされているのではありませんか?」
と、夫人に尋ねた。
「……ええ、確かに。常に持ち歩いているくらいだし、毎晩丁寧に磨いているわ」
「なるほど。恐らくそのためでしょう。頻繁に時刻合わせを行っているために、正しい時間を送れているのです。どんな物も、所有者の態度に応えますから」
「……そんな。それじゃあ何の意味も……」
夫人は唇を噛み、憮然として髪をかき乱した。青年は、そんな夫人を静かな目で見つめ、ぼそりと尋ねる。
「……何が不満なのですか? ご主人は、あなたからの贈り物を大切にしている。きっと同じように、あなたのことも大切にしてくれるのでしょう。それでは不足なのですか?」
「それは……」
夫人は言葉につまる。しかし、急に冷めたように落ち着きを取り戻すと、静かでもはっきりとした口調で言った。
「……あなただって若いんだから分かるでしょう。私たちにはこれから先、まだまだ長い時間がある。それなのに、今をピークにして満足なんてできる? これ以上を望まずに、後は下るだけの人生なんて――」
その日の深夜、夫人は老紳士が隣で眠ったのを確認すると、こっそり起きて懐中時計に手を伸ばした。もうこれ以上、時が自然に過ぎるのを待ってはいられない。それならば、自分で進めてしまえばいいのだ。一周単位で回せば、バレることはない。とりあえず、毎日二周ほど回そう。それでおよそ一日分の時間が進み、うまく行けば倍の早さで年を取るかもしれない。少しずつ、少しずつ、まるで毒のように……。
夫人は震える手でリューズを引いた。ところが、
「どうして回らないの……」
針は反時計回りならスムーズに動くのだが、時計回りに進めようとすると、やけに重たく抵抗がある。要するに、時間を戻す形でしか調整ができない仕組みなのだ。だから、こまめに時刻合わせをしている老紳士は、時計の悪い影響を受けないのだろう。
夫人はようやく理解したが、それでも今さら諦めることはできなかった。もう少しで、あと少しで動かせそうな気がするのだ。指先に力を込めると、わずかだが時計回りに針が揺れる。
夫人は時計を机に押さえ付け、さらにグッと力を込めた。すると、カチンと何かが外れたような音がして、急に指先から抵抗が消える。
「え?」
慌てて夫人が時計を見ると、ガラスの奥の歯車が、目にも止まらない速さで回転を始めていた。徐々に加速する針はグルグルと周回を重ね、時計の持つ脈動もどんどん強く激しくなって行く。そして、夫人はもう一つの異変に気が付いた。時計を持っている自身の手、その指先の爪が、見る見る伸びて行くのだ。違和感を覚えて頭に触れると、髪の毛も同様だった。