ごろごろと転げ落ちたその先で見上げた天井にあったのはシャンデリアではなく、電気の消えた蛍光灯だった。
朦朧とした意識の中で階段を見上げる。階段には自分の履いていたはずの汚れたスニーカーがまるでシンデレラの靴のように転がっていた。
視界に入った踊り場にはあの薄汚れた服を着た女があの美しい靴を持って立っていた。
どこか悲しげな顔をしたその女は私によく似た顔をしていた。
その後の事は何も覚えていない。
人から聞いた話では、倒れている私を警備員が発見し救急車を呼んでくれたらしい。
目を覚ましたのは病院のベッドだった。
心配そうな顔をした母がいた。何故離婚したことを言わなかったのか、余計な見栄など張らずに連絡をくれれば力になれたのに、と私を叱ってくれた。
まだ現実と夢の間を漂っていた私を叩き起こしてくれたのは娘だった。
やつれた娘の顔を久しぶりに見た時に私は悟った。
私は危うく娘をシンデレラにしてしまうところだった。
お姫様のシンデレラではなく灰かぶり時代のシンデレラに。
辛かったのは私だけではなかったのだ。親の離婚が子供の心に暗い影を落とさない訳がない。父親が他の女の所に走った事がどれだけショックだったろうか。私はそれを防げたのではなかったのか。
夫があの女に魅かれたのは自分の足で立とうとする強さ、夫を支えられる強さだったのかもしれない。赤いドレスの彼女はきっと自分の力であの場所にやってきたのだろう。
それに比べて私は、何をしてきたのだろう。家に帰って来た夫に感謝をしたことがあったろうか。自分だけが大変と思い夫を支える事をしなかったのではないか。常に人に求めるばかりだった自分に今更ながら気がついた。
娘は私に心配を掛けさせないように必死でバイトをしながら大学に通っていた。人見知りのあの子が水商売も始めたという。
私の顔を見て娘は泣いた。何故だか「ごめんなさい」と繰り返した。謝らなければならないのはこちらの方なのに。
近所の人に、周りの人にどう思われようが関係ない。私が守らなければならないのは虚栄心ではなく、今目の前にいる娘だ。
お城もガラスの靴も王子様もいらない。今必要なのは働く事とお金。この子を何不自由なく卒業させなくては。
数日後退院をした私は実家に戻り、清掃のパートをしながら就職活動を始めた。
玄関の鏡に映った私はスーツを着た中年の女。しかし前よりは精気がみなぎっている気がする。
そして今の私が履くのはきらびやかなガラスの靴ではない。
この世界中でどの靴よりも価値のある、娘が用意してくれた黒いパンプスだ。
シンデレラは王子様と結ばれてその後どうなったのだろう。今までの苦労が報われて幸せに過ごしたのだろうか。離婚したかもしれないし、王子様に先立たれたかもしれない。子供が出来て、その子の為にお城を出る事があるかもしれない。
幸せなんて保証されるものではないのだから、自分の2本の足でしっかり立たなければならないのだ。
玄関のドアを開けて、力強く足を踏み出す。かぼちゃの馬車はそこにはない。
ただ太陽に照らされた道がそこにあった。