足が靴と重なった瞬間、両足靴を履いている感覚になった。
その時だった。天井のライトが一つだけ点灯して、まるでスポットライトのように私を照らした。そして鏡に映った私は青いドレスを身にまとい、髪もメイクもまるで女優のように仕上げられた自分がいた。20代の頃の一番美しかった時の自分がそこにいたのだ。
鏡の中の自分に手の平を合わせると水の中に入っていくようにズブズブと体が中に入っていく。不思議な圧力に耐えかねて私は目を閉じた。
軽い眩暈の先に現れたのは海外旅行のパンフレットに出てくるような立派なお城だった。闇夜に光り輝くお城に伸びるレッドカーペットの上に私は立っていたのだ。
振り向くとそこには馬車と見たこともないような大きな馬が二頭。御者は軽く会釈をして馬車を走らせ去っていった。そこはメインゲートだったのか次から次へと馬車がやってくる。私は邪魔にならないようにカーペットの道を進んだ。
宮殿の入り口には沢山の守衛が待ち構えていた。何も悪いことをしている訳ではないが、なんだかドキドキしてしまう。そいえば招待状をもっていないのだが、入城することはできるのだろうか。
守衛は私の顔を一瞥したが何も言わず通してくれた。安全面は大丈夫なのか、と勘繰ってしまう。しかしそのような考えはすぐにどうでもよくなった。新婚旅行で行ったフランスのベルサイユ宮殿を思わせるような美しい世界がそこにはあった。おとぎの国のお城のような、とてつもなく高い天井に吊られた途方もなく大きなシャンデリア。パステルカラーの壁には蝋燭に灯された火の影がゆらゆらと揺れる。
人ごみと喧騒の海を泳ぐように歩き回る。ふと人の波の先に見覚えのある顔が見えた。
この場に似合わぬみすぼらしい姿。煤だらけの褪せたワンピースにくすんだエプロンをつけた若い女が途方に暮れたような顔でうつむいていた。女は私の視線に気がついたように顔をあげ、覇気のない目で私を見た。
我に返ると、私は靴を脱いで鏡の前に立っていた。鏡の中にいるのはいつもの疲れ切った中年女。輝くように美しい若い女でもなく、薄汚れた服を着た女でもなく、本当の私だった。
メイン広場の大時計が鳴っていた。ボーン、ボーンと響く音が階段の踊り場にも聞こえていた。
次の日もまた同じように、人の少なくなった駅を通って、デパートに向かう。昨日まではなんとも思わなかったデパートの外観が、闇夜に浮かぶお城に見えなくもない。
心なしかいつもより心明るく、足取りも軽く職場に向かった。
昨日と同じように清掃を終え、階段の踊り場に行くと鏡の前に左足分のあの靴が置いてあった。鏡には両方揃った靴が映っていた。
同じように靴を履く。目の前に現れたのはピンクのドレスを纏った若い自分だ。
鏡の中に入ると今回はお城の中から始まった。昨日の夜元の世界に戻った場所から。しかし目の前の鏡には薄汚れた若い女は映っていなかった。ただ気になったのはあの顔に見覚えがある、という事だ。正確には目に見覚えがある。目が合ったのは一瞬の事だったので判別は難しいが。
「済みません。」
ぼおっとしていた所に話しかけられ、驚き振り向くと今の自分とそうそう歳の変わらない青年が立っていた。正装なのか、軍服のような服を着たスラリとした爽やかな男性だった。
「よろしかったら私と踊っていただけませんか。」