小説

『遅すぎた女』yui.chi(『鶴の恩返し』)

 女はさして珍しくもない2LDKの部屋をきょろきょろと見回した。蛍光灯のあかりの下だと、女の白髪や皺がよりはっきりと見える。茶色い目をしていることがわかる。僕は彼女をリビングに案内してソファーに座らせた。お茶を淹れようとする僕に、「お腹は空いてないですか?」と尋ねてくる。あわよくばご相伴に預かる気か?
「さっき食べたんで」きっぱりと答えると、「部屋も綺麗にしてるんですねぇ」となぜか寂しそうな声を出す。まるで僕の役に立ちたかったとでも言うように。新手の詐欺かなにかだろうか。
「じゃあ困ったことはなにかありません?」
 尋ねる女に僕は昆布茶を出した。困ったこと。僕を困らせるもの。考えるまでもない。あんただ。
「それ飲んだら出てってくださいね」
 とげとげとした僕の言葉を聞き流し、「やっぱあれしかない」、「でも初めからそのつもりだったし」とぶつぶつと言いながら女は昆布茶を啜る。それから考え込むように目を瞑ると、やがて寝息を立て始めた。
「あれ、ちょっと」
 体を揺すろうと伸ばしかけた手を、僕は結局引っ込めた。起こすことが躊躇われるほど気持ち良さそうな寝顔だったのだ。僕は寝室からブランケットを持って来て、彼女に掛けてやった。こうして僕と女の生活が始まった。

 
 翌日、目を覚ましてリビングに行くと、女がワイドショーを眺めていた。特に大きな事件もなかったため、話題は芸能人の不倫で持ちきりだった。コメンテーターの発する辛辣な言葉を聞きながら、僕はトーストを焼いて、コーヒーを淹れた。二人分。
「魚がいいですねぇ」
 トーストを一瞥するなり女が言った。それからまたテレビ画面に目を向ける。僕は二人分のトーストを平らげ、魚を買うために外へ出た。「ついでに糸も買ってきてくださいね」玄関のドアを閉めるとき、背中に彼女の声を聞いた。
 街は昨日に引き続き、激しい雨に包まれていた。傘にぶつかるバチバチと世界が弾けるような雨の音。街はどんよりと暗い空に包まれている。それは僕にとって随分久しぶりの外出だった。
 僕が外に出ることは滅多にない。そのことを僕は商売にしている。『ニートマン』。それが僕のユーチューバーとしての名前だ。その名の通り、『部屋から出ないこと』をコンセプトにしている。

「今日は名古屋コーチンカレー、食べてみたいと思いま〜す」

 ネットで買える激安ご当地グルメシリーズの日もあれば、

「糸ようじふたつで遊べるゲームを思いつきましたぁ」

 究極にどうでもいい暇つぶしを考えてみる日もある。

「俺はニート、刻むよビート、進むよきっと、するなよ嫉妬」

 これはラップ調の日。

 人気ユーチューバーは年間数千万稼ぐと言われているが、僕にそんな秀逸なアイデアが思い浮かぶはずもなく、登録者数も再生回数も彼らには遙か遠く及ばない。しかし友人もいない恋人もいない僕はお金を使う理由もまたないため、今のところ特に不自由なく生活ができている。

1 2 3 4 5 6 7 8