小説

『地獄リゾートへようこそ』二村元(『蜘蛛の糸』)

「じゃあ、解約は無理だ。これからはたっぷり、地獄を楽しむんだな」
 青鬼は、不敵な笑いを浮かべている。
 そうか、生きているときに聞いたことが有る。地獄の沙汰も金次第、だと。それはこのことだったのだ。
 俺は途方に暮れながら血の池や釜茹でなど、まさに地獄の苦しみに悶えながら毎日を過ごしていた。
 血の池に溺れそうになりながら、ふと、天国に初めて着いた日を思い出した。
 そう言えばあの日、小さな池のほとりで、お釈迦様らしいお爺さんが蜘蛛と遊んでいたっけ。そうだ、俺は生きているときに良いこともしたのだから助けておくれよと祈れば、あの蜘蛛の糸の物語のように、きっと天国の池からこの血の池に向かって蜘蛛の糸をおろしてくれるに違いない。
 そして、大切なのは、俺が蜘蛛の糸を登って行く時に、下から続いてくる者たちに、「来るな」などと言わなければ、きっと蜘蛛の糸は切れずに俺たちを天国へ連れて行ってくれるはずだ。
 じっと天の先の方に目を向けていると、池の底を覗いているお釈迦様と目が合ったような気がした。
 ――お釈迦様、俺は生きているときは良いこともしましたぞ。募金をしたことも有るし、魚釣りをしても小さな魚はそのまま海に放したし、拾った千円を交番に届けたことだってありますぞ。だからどうか蜘蛛の糸を垂らしてください。
 どうやら俺の祈りが通じたようだ。鉛色の空の向こうから、銀色に輝く細い糸のようなものが、ゆっくりゆっくりと降りて来るのが見えた。
 俺は、血の池の中から、銀色の糸に向かって一生懸命に手を伸ばした。
「おい、そこの手を伸ばしているお前。次は針の山に移動するぞ」
 青鬼が俺に向かって叫んだ。
 蜘蛛の糸をつかむ前に場所を移動させられる物語りなんて聞いたことが無いぞ。
 渋っている俺に向かって青鬼が烈火の形相で怒鳴りつけた。
「さっさと上がってこい。さもなくば二倍の苦しみを与えるぞ」
 俺はこれ以上の苦しみはとても耐えられないと思い、血の池から上がって、青鬼のもとへ行った。
「さっさとしろ!」
 青鬼は俺の腕をつかんで、針の山に向かって歩き出した。
 青鬼に引っ張られながら血の池を振り向くと、ちょうど銀色の蜘蛛の糸が、池の中央に降りて来ていた。俺はとっさに青鬼の腕を払いのけ、血の池に向かって走った。そして飛び込んだ。
 俺は蜘蛛の糸を目がけて、必死に泳いだ。そしてついに俺は蜘蛛の糸を手でつかんだ。
 やった! これで天国に戻れるのだ。
 俺は無我夢中で蜘蛛の糸を登った。俺が登る様子を見て、他の者たちも続いて登って来た。
 ずい分上まで登ったと思いながら、ふと下を見ると、数えきれないほどの者たちが蜘蛛の糸につかまっている。重さのせいか、蜘蛛の糸が揺れている。
 糸は大丈夫だろうか。でも、ここでみんなに来るなと言ってはいけないことくらい学習済みというものだ。
 俺は蜘蛛の糸は絶対に切れないと信じて力の限りを尽くして上へ上へと登って行った。

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