小説

『地獄リゾートへようこそ』二村元(『蜘蛛の糸』)

 青鬼が鞭を振り下りしている隣りで、気の弱そうな少女が、「痛―い」と叫んでいる。どうやらここは本物の地獄らしい。これはちょっと遠慮したい。そう思って眺めていると、少女がやけに楽しそうな笑顔だ。
 目を凝らして見ると、青鬼の鞭は、地面を叩いている。その隣りで、笑顔の少女が「痛―い」と声を上げているのだ。どうやら、地獄の雰囲気を楽しむコーナーらしかった。
 俺は、すっかり気に入って、地獄行きの契約書に名前を書いた。
 地獄の初日、天国から地獄に乗り換えた者全員に、スマートフォンが配られた。
「地獄への乗り換えサービスとして、皆様にスマートフォンをプレゼントします。このスマートフォンは、地獄リゾートを利用するIDカードも兼ねていますので、決して失くさないようにお願いします。もし地獄リゾートを解約して天国に戻りたい場合は、スマートフォンの解約が必要です。ちょうど二年目の月が解約月になりますので、忘れないようにして下さい。毎月の使用料金は、ずっと無料ですよ」
 愛想たっぷりの笑顔で、赤鬼が説明している。
 地獄のスマートフォンも二年縛りが有るのかと思うと、何だか可笑しかった。
 とりあえず地獄に知り合いもいないので、スマートフォンなどは、当面は必要ないだろうけど、友達でも出来れば役立つのだろうと思った。
 地獄リゾートに来た俺たちは、快適な地獄ライフを満喫していた。だんだんと、親しい友達も出来てきた。
 リコピン風呂やジャグジーで友達と会うし、三LDKのマンションの部屋も、皆、近くに住んでいるから、電話やメールで連絡する必要も無く、配られたスマートフォンは、クローゼットの奥にしまったまま、ずっと忘れていた。
「おい! 何をボケッとしているんだ。さっさと支度をしろ!」
 いつもは満面の笑みで、優しく接してくれる青鬼が、まさに鬼の形相で、俺のマンションに乗り込んできた。
 俺たちは、窓に鉄格子の付いた大型バスに押し込められて、いつものリコピン風呂などが有る場所へ連れてこられた。
「ボケッとするな。さっさと入れ!」
 青鬼は、俺を血の池に突き落とした。そこは、トマト味のリコピン風呂ではなく、まさに血の味がした。血の池で溺れそうになりながら、隣りのジャグジーを覗くと、本当に熱湯が沸いているようだ。
「どうして急に変わったんだ。説明してくれ」
 俺は血の臭いに咽ながら、青鬼に向かって叫んだ。
「お前たちにスマートフォンを配っただろう。最初の優しい二年縛りは昨日で終わったのだ。今日からは本当の地獄が始まるのだ」
 そう言って青鬼はニヤリとした。
「じゃあ、スマートフォンを解約させてくれ。そうすれば天国へ戻れるのだろ」
「解約するには解約金が必要なのだ。解約金がかからない二年目の月は過ぎたからな」
「いくらかかるんだ?」
「一万円だな」
 死んで天国へ行くとき、お金なんて持って行くはずもない。
「お金なんて持ってないよ」

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