小説

『地獄リゾートへようこそ』二村元(『蜘蛛の糸』)

 そして、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らした池の底を通して、お釈迦様の姿が見えるところまで辿り着いた。
 誰かがお釈迦様に話しかけている様子が見えた。なんだか気難しそうな中年の男の顔だ。
 その男がお釈迦様に話しかける声が聞こえてきた。
「お釈迦様、地獄へ行った者たちを連れ戻されちゃあ困りますよ。せっかく地獄の鬼たちに頼んで引き取ってもらったのですから」
「あなたはどなたですか?」
「天国の人数を管理する役所の者です。もう天国は満員なのですよ。やつらは自分の欲で地獄を選んだのですから、自業自得というやつですよ。天国には新しい人たちがどんどん入って来るのですから、一度出て行った者たちを呼び戻さないでくださいよ」
 そう言ってその男は、ズボンのポケットからハサミを取りだした。
「おい、やめろー!」
 俺は、精一杯の声を張り上げた。
 お釈迦様は、俺の方に目を向けて、ちょっとすまなそうな顔を見せたような気がしたが、役人には何も言い返さないようだった。
 俺は役人の男に向かって何度も叫んだが、俺の声はその男には届かないようだった。役人の男は、お釈迦様の手から伸びている蜘蛛の糸を、一瞬のうちに切り落とした。
 俺はあと少しのところで再び血の池に落ちてしまった。

1 2 3 4