小説

『地球玉手箱現象』馬場健児(『浦島太郎』)

 深いシワに囲まれている沙織の黒い瞳も透明な海のようにキラキラと美しく光っている。
 白煙に覆われる前の沙織と今の沙織と、何も変わらないと竜斗は強く思った。
 同じように自分も、何も変わらないと強く思った。
 力が尽きるまで、歌いたいと強く思った。
 いつかの街角でふと切ない歌声に足を止め、見入ってしまった年老いた名もなき吟遊詩人のように。
 観客が誰ひとりいなくなっても、沙織だけは竜斗の声に耳を傾けてくれるだろう。
 白煙に覆われるまえよりも更に愛しい感情が湧いてきて、思わず沙織を引き寄せた。
 弛んだ首筋に唇を這わすと、沙織の吐息が聞こえ愛しさが募った。
 萎んだ胸に顔をうずめ乳首を口に含みながら、竜斗は人類の次に誕生してくる生物を想像してみたが、何も思い描けなかった。
 乳首は不思議な甘さだった。きっとアダムとイブが齧ってしまった禁断の果実も同じような味だったのかもしれない。
 沙織は竜斗の体から湧き上がってくる熱を感じながら、そっと手を伸ばして
 ジュエリーボックスのような装飾の小箱の蓋を閉じた。

1 2 3 4 5 6 7