小説

『螺鈿の小箱』霜月透子(『浦島太郎』)

 手に取り、親指でキャップを上に弾くと、キンともカンともつかない澄んだ音がして、着火部をガードする防風部分が現れた。かすかなオイルの臭いを感じた途端、志麻子の脳内でなにかが急速回転し、突如、記憶が鮮明になった。
 それは、このオイルライターが火をつけたまま志麻子の手から飛んでいく場面だった。
 あまりにも鮮やかな映像に、志麻子は短く叫んだ。と同時に螺鈿細工の小箱とオイルライターが地面に落ちた。亀山が拾い上げ、再び志麻子に握らせた。
「志麻子さんのご両親は火事で亡くなられました」
「わたしが……殺したの……? わたしが、このライターで……」
 心当たりはあった。高校進学を認めてもらえなかったのだ。就職か、せめてアルバイトをしろと言われた。志麻子が通学しながらアルバイトをすると言ってもだめだった。だから殺した?
 いや、しかし、そうだとしても、このライターは誰のものだろう。志麻子は煙草を手にしたこともないし、父は喫煙者だったがこんな高級ライターを持つ余裕はなかったはずだ。
 亀山と目が合うと、ひとつ頷いてから口を開いた。
「美姫様のご主人を覚えておられますか? このライターの持ち主です」
 そういえば、叔父はどんな人だっただろう。叔母のところに滞在中、一度も会うことはなかった。それ以前からだ。だが、叔母が仕事を持っていない以上、あの生活を維持するだけの収入か貯蓄があるはずだった。そしてそれは叔父によるもののはずだ。
 志麻子の返事を待たずに亀山は話し続ける。
「美姫様のご主人は行方不明ということになっていますが、実際はご自宅で亡くなりました。事故だと聞いていますが、詳しくは知りません。知りたくないと申し上げました。なぜなら、美姫様はご主人の亡くなられたことを隠蔽しようとなさったのです。運転手面接は隠蔽のための共犯者を探すためのものだったそうです」
「さっき話していたあの……」
「はい。志麻子さんのおかげで採用になったあの面接です。あのとき、スーツも用意できないほど困窮していた私は面接をするまでもなく追い返されるはずでした。けれども志麻子さんの一声で美姫様は目にとめたのです。金のために加担しそうだと判断されたのでしょう。実際、私は金に困っていましたから、もしものときはなにも知らなかったで通すという約束で隠蔽に協力しました。詳しくは申しません」
 そこで亀山は長い息を吐き、襟元を人差し指で緩めた。
「ところが、志麻子さんのご両親に気づかれました。そのことで長らく金銭の要求をされていたようです。美姫様はご自身にお子様がいらっしゃらないこともあって、志麻子さんのことは大切に思っていましたから、要求に応じていました。けれども、志麻子さんの高校進学を認めていないことを知った美姫様は、渡した金銭の使い道で口論になりました。その日、私が美姫様をこちらまでお送りし、立ち合っていたのでよく覚えております」
 見ているはずのない光景がまざまざと思い浮かんだ。両親のやりそうなことだった。
 亀山は、志麻子から視線を逸らして語り続ける。

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