小説

『葬儀屋』空亡(『河童(妖怪)の伝承』)

 そんな思考が透けたのか、本当に鏡に向こうから、誰かがいる気配がした。じっとこちらを覗き、笑いさざめくかのような。わけがわからず、ぞっ、とした寒気が、背中を駆け上ってゆく。見合ったままの川中氏の目が、すっ、と細くなる。
「じつはね、今日の話というのは他でもない。君の疑問を、解いておこうと思ったんだ。我らへの、疑いを」
「……なんの、お話でしょう?」
「もちろん我が父親が、干からびて死んだことについてだよ」
 言ってから川中氏は、これまで見たことのない顔つきをして、にやり、と笑った。

 そこからの話は、奇妙かつ奇天烈なものだった。
 川中氏の一族は、神話の時代から、日本を影ながら支えてきた血族であるという。その身に備わる“水中を御す力”が、高く評価されたためだ。水が豊富な日本において、かつて河川は運送の要。そのうえ周囲は海に囲まれている。そこを自由に、かつ素早く動ける者がいたとすれば、重用もされようものだ。
「我が一族であれば、水中において数時間ほどは、酸素ボンベに頼らずとも過ごせる。障害物さえなければ、マグロと並んで泳げる者もいる。世界大戦中、日本の海軍が幅をきかせられたのも、我らの力あってこそのものだよ。もっとも表向きには、戦艦の力だとされているが」
 川中氏は、淡々と話し続ける。
「まあ現在の立場としては、日本政府だけに使える、懐刀とでも思っていてくれ。なにしろ我らは、いつの世でもトップ・シークレットの存在だ。こうした特異体質とくれば、部外者の脅しや拉致などは、ありがちな脅威。最悪、生きたまま解剖されかねない。それだけは、いかなる理由でも許せんからな。政府に人を貸すさいにも、正しい死因の究明および死体の回収だけは義務付けている」
 静かながらもその口調には、うむをいわせぬ迫力がこもっている。嘘だ、と思うことすら許されない雰囲気だ。
「我らを、政府のほうは俗に“人魚”と呼んでいるよ。だが我が家の伝承において、正式なところは“河童”だ」
「――カッパ?」
 途方もない意外さに、つい意味もなく復唱すると、川中氏の目に、きびしい光が灯った。
「そう、妖怪として言い伝えられている、河童だよ。どうだね? 君の知るイメージとは少し違うかね?」
 両手だけが、得意げに広げられる。答えを催促されていると知れて、気持ちばかりが焦る。
「……そ、そうですね……どうでしょう、ク、クチバシがあって? ……ウロコ? 甲羅? でしたか、それと頭上には皿が……」
 しどろもどろながら回想すると、川中氏は、は、は、は、と皮肉げな笑いを口にふくんだ。
「キュウリが好物で、尻子玉を抜く。皿に水があるうちは怪力で、動物や人間を水に引き込んでは血を吸う。どうだ?」
「そこまで詳しくは、知りませんでしたが……」
「それは情報操作のために時の政府がながした、噂がもとだ。その後となれば尾鰭がついて、伝言ゲームのなれの果てに、そういった妖怪らしき生物になった」

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