小説

『シャフリヤールの昼と夜』里中徹(『アラビアン・ナイト』)

「いえ、いいです。お茶で良かったですか?」
「ええ。緑茶、好きなんです」
 柔らかく微笑むミズキさんの顔から、反射的に目を逸らしてしまう。
 好きなものを知ることができた。
 笑顔を見ることができた。
 そんなことを嬉しく思ってしまう自分が怖かった。

 
「恋だね」
 明里の突然の指摘に、どう反応して良いのか分からなかった。
「なんだよ、いきなり」
「お父さん、恋してるでしょ? 見れば分かるよ」
 思わず自分の身体を眺めてしまう。三週間ぶりの明里との面会(デート)。二人分のコーヒーを買ってきてくれと財布を渡し、席を確保して新聞を読んでいただけだ。なにが明里をそう思わせたのか。いろいろと調べてみたものの、自分の格好におかしなところはない。
「……してるんだね、恋」
「いや、してない」
 姿勢をあらためてコーヒーに口をつける。多少なりともうろたえてしまったのが恥ずかしかった。
「してないけど、参考までに。なんでそう思ったんだ」
「女にしか分からない恋愛フェロモンってのがあるんだよ。知らない男、案外多いよね」
「え、ほんと?」
「あ、ミルク忘れた。まあいいや、砂糖だけで」
 肯定も否定もせず、明里はコーヒーをティースプーンでかき回している。
「……色恋沙汰なんてもうこりごりだよ。向いてない。明里もよく分かってるだろう」
「しないと決めてしなくなるもんでもないでしょ。まあでも、いいと思うよ。お父さんがやり直してくれた方が私も気楽だし。いっそのこと、新しい家族作っちゃえば?」
 寂しいことを言わないでくれ――出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。そんなことを言う権利は俺にはない。明里のどこか冷めて大人びた振るまいも、元はと言えば俺のせいなのだから。
「ま、のめり込みすぎないようにね。最近読んだ本にも書いてあったよ。長く続く恋の秘訣は、ほどほどに愛することだって」
「なんだそりゃ、少女漫画か?」
「シェイクスピア」
 明里はコーヒーを啜ると、俺の新聞を取って読み始めた。一面には首脳会談が大々的に取り上げられている。
「今回、早くない? こないだ会ったばっかりじゃん」
「どうかな、偉い人の会談なんてしょっちゅうやってるイメージだけど」
「いや、私とお父さん」
「……ああ」
 面会はだいたい二ヶ月に一回のペースだったが、今回は前から一ヶ月も経ってない。
「ごめんな、忙しいのに。ちょっと明里に伝えたいことがあってな」
「分かってるよ」
「え?」

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