小説

『シャフリヤールの昼と夜』里中徹(『アラビアン・ナイト』)

 自分の娘の年も忘れたの? とトゲのあるつっこみをもらってしまった。
「ごめんごめん。受験の時期になったら会うのも難しくなるなって、ちょっと寂しくて」
「そうしたのはあなたたちでしょ」
「……そうだな、すまん」
 返す言葉もない。明里にいつも会えないのは他の誰でもない、俺自身のせいだ。明里からすれば、自分で作った状況に苦しんで抜け出せない、間抜けな男にしか見えないだろう。
 それ以上は会話が続けられず、しばらくは何となしに窓の外を見ていた。オフィス街ということもあって、週末なのにずいぶんスーツ姿が目立つ。
「ねえ」
 無くなりかけたコーヒーに口をつけようとしたら、明里が口を開いた。会話を始めてもらえたことに、情けないながらもほっとしてしまう。
「前から聞きたかったんだけどさ」
「うん、なに?」
「どうして協議離婚にしたの?」
 しばらく、何を聞かれているのか分からなかった。
「……どうしてそんなこと聞くんだ?」
「裁判にすれば良かったじゃん。不倫したのはお母さんでしょ。慰謝料とれたかもしれないし、親権だって――」
「…………」
「まあ……どうでも良いけどさ」
「お母さん、嫌いか?」
「うん。お父さんと同じくらい嫌い」
「そうか」
「勝手だよね、二人とも。巻き込まれる人がいることも忘れて。ひとりで生きていくことが許されない人間だっているのに」
 明里からこんな言葉を聞くのは初めてだった。その言葉はなんの装飾もなく、まっすぐに俺に向けられている。すべての責任を放棄した俺に。
「……早く大人になりたい」
 明里の視線は、いつの間にか窓の外に向いていた。

 
 もう毎週金曜日の習慣になりつつある。仕事帰り、五反田のホテルに泊まって電話を掛ける。コールが繋がれば、あとは夜の扉を開く呪文を唱えるだけ。
「ミズキさんをお願いします」
 この手のサービスを使い始めたのは独り身になってからだ。別にやけになったわけじゃなかったが、どうせなら今までやってこなかったことをいろいろと試してみたかった。
 ミズキさんが初めて来たとき、可愛らしい人だと思った。行為も知らないことの連続で、たとえその瞬間だけでもすべてを忘れられた。

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