「チエちゃん」
私に気づいたチエちゃんは、私の顔を少し見てほんの少し笑って、また下を向いた。チエちゃんがここまで落ち込んでいる姿を見たのは初めてだった。お父さんがいなくなった時にも、こんな姿は見せなかった。
「タツヒコ、大丈夫なの?」
「命に別状はないって。でも、もしかしたら後遺症が残るとかなんたら、医者が言ってた」
「そうなの」
少しの沈黙。そしてまたチエちゃんが重い口を開く。
「ねえタエちゃん、私が間違ってたのかな」
その言葉に、私が何も言えずにいると、
「私が間違ってたんだよね」
と、チエちゃんが繰り返すように言った。それから二人は病室の中で長い沈黙。チエちゃんも私も俯いたまま、タツヒコが弱々しく呼吸するのをぼうっと見つめていた。
翌日、タツヒコが襲われた事件は大きくニュースで取り扱われた。タツヒコは他高の不良グループ四人にバットで殴れたり体を蹴られたりしたことによる全身打撲と、鼻や口から出た血による出血多量で一時意識不明に陥る重傷を負った。前に彼らが巣食っていたゲームセンターで、チエちゃんの高校の同級生がカツアゲされることが何回かあり、噂を聞きつけたチエちゃんが彼らに制裁として、喧嘩でボコボコにやっつけてしまったことに対する逆恨みだった。タツヒコに大けがを負わせた四人は、逮捕され少年院に入った。ネットやメディアでは逮捕された彼らの悪行を取り上げる一方、彼らに逆恨みされたチエちゃんの不良伝説にもフォーカスが当てられ、賛否両論でしばし騒がれていたが、それもやがて皆が忘れ、後に残ったのは、タツヒコの怪我によるダメージだけだった。リハビリを頑張ればいずれ人並みに動けるようになる、と担当医が断言したことだけが唯一の救いだった。
タツヒコの一件があってから、チエちゃんは喧嘩を辞めた。喧嘩もしなければ、トレードマークだった巻髪も、長いスカートのスケバンスタイルもやめ、見た目も普通の女子高生になった。チエちゃんが喧嘩をしなくなったことに少し安心する思いもあったが、チエちゃんの数々の功績を風の噂で聞くことでチエちゃんの存在を感じていた私にとって、寂しい思いもあった。でもそんな寂しい気持ちを私が抱えてしまっていること自体が、チエちゃんを喧嘩へと向かわせていた一つの要因であるかもしれないし、そのせいでタツヒコが重傷を負ってしまった。というのは飛躍した考えかもしれないがときには本当にそう思えてしまい、自分を責めたりもした。そんな風に自分を責め続ける日々の中で、喧嘩をしなくなったチエちゃんの噂が、思わぬ形で入ってきた。チエちゃんと思われる女の子が、一回りも二回りも年齢が上の男性と繁華街を歩いている姿が目撃されたのらしい。中には、その二人がホテルの中に入っていくのを見たと言っている人もいた。まさかチエちゃんがそんなことをするはずないとは思ったけれど、チエちゃんに直接真相を聞くこともできず、ましてやリハビリを懸命に頑張っているタツヒコにも聞けるはずもなかったので、ただただ想像の中に浮かぶ、チエちゃんと見知らぬ大人と一緒に歩く姿を消すのに必死だった。という風に、散々チエちゃんのことで悩んだ私であったが、チエちゃんの噂の真相は思いのほかあっけなく明らかになった。