「やっぱりさ、私がもっと強くならないと。弱い人をたくさん守ってあげないと。悪い奴は私が全部やっつける」
引っ越したチエちゃんのお家へ遊びに行ったとき、チエちゃんはお父さんがいなくなったこと、引っ越しをせざるをえなくなったことなどには触れず、ただ自分の決心を私に聞かした。「全部やっつける」それがチエちゃんの決心だった。私はチエちゃんを励ますような言葉も、慰めるような言葉も言えず、うん、と頷くことしかできなかった。
中学校に入学してからのチエちゃんは、見た目も行動もまるきり不良になった。ショートカットだった髪は伸ばして巻き髪に、上着の丈は短く、地面に着きそうなロングスカートで、私たちの世代ではもう見られない、昔の学園ドラマで出てくるようなスケバンスタイル。小学校からの友達たちは、チエちゃんが不良になっちゃった、と言って関わらないようになり、他の小学校からきた子たちは端からチエちゃんとは距離をとって接した。私たちが入学した中学には、チエちゃんほどあからさまな見た目ではないけれど、少し不良っぽいというか、悪そうな先輩もいて、私や同級生の子たちも怖がっていたし、その不良っぽい人たちにいじめられている人もいたけれど、そういう少し悪っぽい人たちは、チエちゃんが入学して半年も経たずに一人残らずチエちゃんにやっつけられた。とにかく、弱いものいじめや悪いことをした人は全員チエちゃんにシメられた。誰もがチエちゃんを恐れて、大人しくなった。でも、チエちゃんが実際やっていたことっていうのは、いじめっ子を懲らしめたり、理不尽に後輩に難癖をつける先輩たちを大人しくさせていただけで、その行動の内実はほとんど風紀委員みたいなものだった。チエちゃんはたった一人で、学校に存在する悪と戦っていた。私はチエちゃんと登下校を共にしていたから、よく先輩や同級生の不良っぽい子たちに目をつけられていたけれど、少しでも私にちょっかいをかけようとする人がいればすぐさまチエちゃんがきて彼ら彼女らを牽制した。学校一の不良のチエちゃんと仲良くしていたのは私だけだったから、皆私のことを避けたし、恐れているようでもあった。中学で友達がほとんどできなかったのはほんの少しだけ寂しかったけど、正直チエちゃんがいてくれるだけで私はまったく平気だった。あ、あとタツヒコも。タツヒコも友達だ。その二人がいてくれれば私はまったく大丈夫だった。それに結局、チエちゃんと違う高校に行ってからも、私はタツヒコ以外の友達ができてなかった。私に友達ができないのはチエちゃんのせいじゃなくて、私自身の問題だった。
高校に行っても友達ができずにいた私は、部活にも所属せず、いつも図書室で勉強をしたり意味もなく座って、気が向いたら本を読んだりして過ごしていた。たった一人で、ときにはタツヒコもいたが、タツヒコがアルバイトを始めてからは頻度も少なくなった。
ある日、図書室の中をとくに何を探すわけでもなくふらふらと本棚の背表紙を目で追いながら歩いていると、「智恵子」という文字を見つけた。ふいにチエちゃんの名前を見つけて立ち止まると、その背表紙には、高村光太郎という作家の「智恵子抄」とあった。思わず手に取り、ぱらぱらと読んでいくと詩がたくさん書いてある。私はそれらの詩を、勝手にチエちゃんの姿を想像しながら読んだ。中には難しくて一度読んだだけではその状景が思い浮かべられないものもあった。詩集の中である一編の詩に、あなたはだんだんきれいになる、という題の詩があって、その言葉が私の心の中でチエちゃんの姿とぴったりと重なった。これはチエちゃんの詩だ、と思った。チエちゃんは小さい頃から、どこか大人びていて周りの女の子よりもずっと年上に見えてきれいだったし、そのままだんだんきれいになってる。どれだけ周りの人がチエちゃんをただの不良娘だと言っても、私はそうは思わない。チエちゃんはきれい。チエちゃんはかっこいい。と、そう思っていた。それがこの誰が書いたのかも分からないずっと昔の詩集の中に、こんなにもはっきりと、書き示してあったのだ。私はその詩のページの間に、「これはチエちゃんのための詩です。」というメモを書いて挟んだ。それからその詩をタツヒコにどうしても見せたくて、図書館でタツヒコを待つことにした。早くこの詩を、タツヒコにも見せたかった。私たちのチエちゃんが、だんだんきれいになる。だんだんきれいになるって、ずっと昔から決まってたの、すごいよね。そう言って二人でチエちゃんの話をしようと思っていた。「ねえタツヒコ、見せたいものがあるよ」と携帯にメッセージを送ると、すぐに返信が返ってきた。「タエちゃんごめん、タツヒコがやられた。今は病院。チエ」と書いてあった。私はすぐに病院に向って走った。
病院に着くとタツヒコがベッドの上で、包帯をぐるぐるまきにした痛々しい姿で寝ていた。ベッドの横で座るチエちゃんの肩ががっくりと落ちていた。