小説

『沈まない泥舟』渡辺鷹志(『かちかち山』)

 すると、担当課長が部屋の外に待機していた警備員を呼んだ。そして、お客さんに向かって、もう話は済んだとばかりに「お引き取りください」と口調は丁寧だが冷たい感じで言うと、警備員がお客さんを会社の外に連れて行った。
 平田は今のやり取りを見て茫然としていた。
「平田課長、気にしないでください。よくあることです。こっちはきちんとルールを守っているし、彼もこれで借金がなくなり、我々も貸付金を回収できる。最高の結果ですよ」
 担当課長はそう言って、部屋を出て行った。
 平田は、担当課長の言う通りだとは思ったが、この会社のやり方は何かが違うと違和感を覚えた。
 ふと、さっきお客さんが言っていた言葉を思い出した。
「泥舟に乗せられたか……昔話の『かちかち山』に出て来たな。確か悪さをした狸が泥舟に乗せられて沈められたという話だったな。借金の滞納が家族にばれて信頼を失ったあの人も同じように沈められたということか……」
 平田はつぶやいた。
「そういえば、我々が乗っている泥舟も沈んでしまえと言っていたな。はたして自分が乗っているこの会社も泥舟なんだろうか?」

 平田は人の役に立っていると思って、毎日充実感を持って働いていただけに、今回のクレームとそれに対する会社の対応はショックだった。
 平田は銀行員時代に毎日感じていたようなストレスを久しぶりに感じて、体調を崩してしまった。平田は次の日、会社を休んだ。体調はすぐには良くならず、それから三日間会社を休んだ。
 すると、三日目のお昼に何の連絡もなく総務部長と総務部の女性係員が家にやって来たので、平田はびっくりした。
 二人は花束や差し入れを持ってきてくれた。また、評判のいい医者を紹介してくれた。さらに、女性係員は平田のためにお粥を作ってくれた。
「健康が第一だ。社員の健康管理はわが社の最優先の重要事項だ。何日でもゆっくり休んでくれ。また明日も来るから何かあれば遠慮なく言ってくれ」
 総務部長が平田に向かってやさしい声で言った。
 平田は心配してもらえたことはうれしかったが、ここまでする会社のやり方にまたもや何か違和感を覚えた。
 ともかく、この調子で毎日家に来られても困ると思い、まだ体調はすぐれなかったが、次の日から出社することにした。

 会社に復帰した平田は、徐々に体調も回復して通常通り働いていた。
 前回のようなクレームは相変わらずたまにあったということだが、平田が同席してもしなくても結果は同じになるとわかっていたため、前回以降は同席しなかった。

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