僕の家には決まりがある。
――豆の木に近寄ってはいけないよ。
だけど、僕はこれを守らない。
屋根裏が一番落ち着くの。欲のない母さんの口癖であった。村で一番たくさんの乳牛を飼っているのに、「この子たちの乳は私たちのためじゃなくて、仔牛たちのためにあるのよ」と言う母さんである。その日暮らしができる程度にしか乳を取らなかった。
おかげでうちはいつも貧乏である。僕が10歳の時に父さんが行方をくらまして以来、昼食に持たせてもらったのは、毎日硬い茶色のパン一つと、うちの乳でできたチーズだけ。8年間毎日それだけ。母さんにとっての「身の丈にあった幸せ」というのは、僕にとって「こらえすぎの毎日」だった。
身の丈が低すぎると不満をぶつけようと思ったことは、両手足を以てしても数えきれない。だが、これもまたこらえた。なぜなら母さんがこんなにも質素な暮らしを望みだしたのが、父さんがいなくなった直後からだからである。傷ついている母さんを責めることなんてできなかった。いなくなった日の夜、母さんは呆然と椅子に座り、「……求めすぎるからいけないのよ」と呟いた。僕のうちに身の丈幸せ呪いがかかった瞬間だった。
父さんは、生活の為にとよく豆の木のある森へ出かけていたのだ。暖炉の牧やキノコ、木の実、そして動物を採ってきてくれた。そしてたまに、森で拾ったと言って街でも見ない珍しいものを持って帰ってきてくれた。しかし、母さんはそれをよく思っていなかった。なぜなら、何千年も前からある森の豆の木はあの世につながっていて、近づいてはいけないというのが僕のうちの言い伝えだったからだ。
だけど一度だけ、想いを口から漏らしてしまったことがある。父さんのいた頃は、美味しいものを食べさせてくれたのに。すると母さんは大きく手を広げ、何年も洗っていないテーブルクロスの両端をつかむと、食卓のパンや豆のスープをそのままくるっと包み、暖炉へ投げ捨てた。その時の母さんの瞳は怒っていなかった。命がない人形と同じ、開いているのに何も見えていないようだった。そっとしておかなきゃいけない。子供ながらに学んだ。普段は優しい母さんなのだ。
息苦しさにつぶされそうになった時は、決まりを破って森にある豆の木の所へ行った。雲の上まである豆の木。僕は地面にまで顔を出すその太い根の隙間に、父さんとの思い出が詰まった木箱を隠していた。どっしりとした豆の木に背中をゆだね、一つ一つを手に取り、心を落ち着かせる。そうやって「身の丈にあった幸せな生活」が始まった時に抱いた違和感や不安に、少しずつ慣れてしまっていた。
しかしある晩、母さんと僕の均衡はくずれた。牛舎の掃除を終え家に帰ると、豆の木に隠していた木箱が暖炉で燃えていた。鈴のスプーン、シナモンの枝、金のたまご。珍しいものが大好きな父さんのくれたもの。木箱に隠していたものたち。暖炉の前には揺れる炎を見つめ棒のように立つ母さん。