小説

『ウサギかカメか』水乃森涼(『うさぎとかめ』)

 休憩後の勤務中も、美紗樹の中学時代のことを想像してみては、その想像が上手くいかなかった。相変わらずミスを連発してしまった。自分のことを変えたいと思って、社会勉強のためにアルバイトをしてみたが、長続きしないかもしれない。

 放課後の学校の図書室に響く音は、ペンを走らせる音と、本のページをめくる音だけだ。こう静かだと、かえって集中できない気もする。まだ終わっていない小論文を書くために図書室に来たが、ペンが進まない。こんな時期に何故アルバイトを始めてしまったのだろう。まったく、自分の計画性のなさに今日も呆れる。
 ほとんど進んでいないが、一度トイレへと立つ。まあ、最悪決められた文字数書けばなんとかなるだろう。昨年もそう思って仕上げた結果、ああいった評価をいただいたのだけど。ドアを開けると、鏡の前に綺麗なロングの黒髪の生徒が立っていた。美紗樹だ。鏡越しに目が合った後に、美紗樹が菜摘を見て、
「あれ、図書室?」
 と聞いた。ごく自然なやり取りだが、2人きりで話したのは、きっと初めてだ。
「うん」
 会話が続かない。一言、「美紗樹ちゃんは?」と聞けばいいだけなのに。個室の方に向かって、美紗樹の背後を通った。美紗樹はトイレから出ようとしている。
「あの!」
 背中に声をかけた。ここで引き止めないと、このウサギはずっとずっと先を行ってしまいそうな気がした。美紗樹は声は出さずに、ゆっくりと振り向いた。無表情だった。
「須田帆夏さんて知ってる?私、バイト先一緒なんだけど」
 わずかに美紗樹の表情が引き攣るのが分かった。
「ごめん、ここだと誰か来るかもしれないから場所変えていい?トイレ終わるの待ってるから」
「うん、急にごめん」
 美紗樹が外に出たのを見てから個室に入った。
 2人で学校の敷地内にあるベンチへと移動した。ここで昼食を取る生徒もいるらしいが、菜摘は使ったことがなかった。さっきの美紗樹の表情から、彼女は自分が中学の同級生にどう思われているか察しているのだろうな、という予想はついた。
「須田さんから私の話を聞いた時って、驚いた?」
 菜摘の方は見ずに、空を見上げながら問いかける。
「うーん、意外と言えば意外。まあ、正直に言うと、地味だったってだけ聞いて、それ以上のことを話す前に須田さんが電話に出ちゃったから、詳しくは聞いてないんだけどね」

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