小説

『ひと花咲か爺さん』宍井千穂(『花咲か爺さん』)

 俺は口に運ぼうとしていたネギを見つめた。このネギも、爺さんの加護を受けて育ったのだろうか。
「昔は重宝されてな。農民たちがこぞってわしに貢物を捧げてきたもんじゃ。でも現代では、やれ化学肥料だの、遺伝子組み換えだの、わしの手には負えないような技術を生み出し始めて、わしはお役御免というわけじゃよ。代わりに、金や恋愛を司るような神たちが崇められるようになってのぉ」
 確かに話題になるのは、そういう実用的な運を司る神が祀られた神社やパワースポットだ。爺さんの目が寂しそうな色を湛える。
「そういう人気の神は、わしみたいな老いぼれを見下すんじゃよ。役に立たずとか、過去の遺物だとか。お前さんにメールを送ったのも、そういう奴らを見返したいという気持ちからじゃった。もしわしのおかげで人生がうまくいったという噂が広まれば、わしも認めてもらえるかもしれないと思っての。結局、お前さんの邪魔ばかりしてしまったが」
 俺は面接官に言われた言葉を思い出した。人間でも神でも、役に立たないと言われて傷つくのは同じだろう。俺は軽く首を振った。
「そんなことないですよ。確かに面接は失敗しちゃいましたけど、じい……神様がいなくても、やっぱりダメだったと思いますし。むしろ、神様が怒ってくれて嬉しかったんです。見ました?あの、禿げた頭に花がたくさん咲いたところ」
 爺さんと俺は顔を見合わせて、プッと吹き出した。
 そのまま二人一緒にジョッキを傾け、生ぬるいアルコールを胃に流し込む。ドン、とジョッキをテーブルに置いて、酒臭い息を思いっきり吐くと、なんだか爺さんが長年の友っていう感じがしてくるから不思議だ。
 爺さんは満足そうに目を細めると、すっかり冷めたつくねをつつきながら、穏やかな声で話し始めた。
「……わしはもう老いぼれじゃが、お前さんにはまだまだ未来がある。新しい世界に飛び込むのはとても怖いことだが、それでも、その向こう側には何か素晴らしいものがあるかもしれん。現にわしも、メールを出すという新しい試みをしてみたから、こうしてお前さんに出会えたわけじゃしな」
 新しいビールがテーブルに置かれる。黄金色の液体の中を、白く輝く泡がゆっくりと上っていく。俺はそれを眺めながら、ただ黙って爺さんの話に耳を傾ける。
「わしは何もしてやれないが、お前さんのことを見守ることはできる。これからも今日みたいに心ない輩に傷つけられたり、何かにつまずいて心が折れることがあるかもしれん。そんな時は、また一緒に酒を飲んでやる。ちょっとした仕返しをしてやってもいい」
 爺さんは腰につけた袋を軽く叩くと、いたずらっ子のように笑った。
「だから、お前さんは、安心して前だけを向いていればいいんじゃ」
 土が水を吸い込むように、爺さんの言葉が優しく胸に染み込んでくる。じんわりと滲む、視界。
 俺は赤くなった目元を誤魔化すように、ビールを一気に飲み干した。

 
 店を後にしたのは、10時を少し回った頃だった。辺りは酔っ払ったサラリーマンばかりだ。それでも大通りを少し外れると、人通りはほとんどない。俺と爺さんはふらふらになった体を支えあいながらアパートを目指した。
「すっかり酔ってしまったのぉ」

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