小説

『死亡フラグ狂騒曲』宍井千穂(『桃太郎』ほか)

 エンジンをかけると、ボートは滑らかに動き出した。少しずつ岸が遠ざかっていく。
 爽やかな潮風を受けながら美しい海を眺めていると、ここが生死をかけた戦いの場だということを思わず忘れてしまう。他のメンバーも緊張が緩んだのか、ポツポツと話し始めた。
「……本当に綺麗な海ですよね。普通に旅行とかで来たかったなあ」
「そんな小さな体でも泳げるのかよ」
「やっぱり無理ですかね。またお椀の出番かな」
 一寸法師の自虐ネタに小さな笑いが起きる。なんだか順調じゃないか。このまま死亡フラグを立てずに島にたどり着ければーー。桃太郎がそう思った瞬間、ボートが大きく揺れた。
「な、なんだ?」
「あっ、あれ!」
 一寸法師の指す方向を見ると、別のボートが亀の襲撃を受けていた。乗っていた者たちはすでに海に投げ出されてしまっている。
「一体何のフラグを立てたんだ……」
「モブ集まり系フラグじゃよ」
 花咲か爺さんが沈痛な面持ちで口を開いた。横では浦島太郎がウンウンと頷いている。
「瓜子姫、あかたろう、たつのこ太郎……。彼らはマイナーな童話出身者、いわばモブ的な立ち位置の者たちじゃ。もちろん、一見モブのような者が活躍する物語も少なくない。だが、彼らは集まりすぎた。モブが一箇所に集まってしまっては、映像的にも見栄えがしない。となれば、役割は一つじゃ」
 3人は必死に亀から逃れようとするが、亀の泳ぐ速度にはかなわない。次々と飲み込まれていく。
「死亡役じゃよ。あまりにも平和な展開が続いてしまっては、物語にも張り合いがないからのぉ。複数の人間が一気に死ぬのは派手じゃし、敵の恐ろしさも強調できる」
 亀は3人を飲み込んでも満足しないのか、キョロキョロと辺りを見回して次の獲物を探している。
「俺らも安全ってわけじゃなさそうだな。先を急ごう」
 浦島太郎は体の向きを戻し、ボートの速度を上げた。長髪が風にたなびいて、意外に整っている顔を引き立たせている。
正直、かっこいい。冷静に状況確認をするところとか、できる奴って感じがする。
桃太郎はそっと後ろの二人に目をやった。花咲か爺さんは年齢的に主人公という感じではないが、哀愁の漂い方が味のある脇役感を醸し出している。一寸法師は頼りなさが前面に出ているが、今後成長しそうな余地を感じさせる。読者に共感されやすいキャラクターだ。
もしかして、今一番モブっぽいのはオレではないのか。桃太郎はふと思った。さっきから戸惑ったり驚いている台詞しか言っていない。焦る桃太郎に追い打ちをかけるように、一寸法師がポツリと言った。
「僕思ったんですけど、モブ集まり系フラグがあるなら、逆もあるんじゃないんですか?」
「逆って?」

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