小説

『鬼我島』木暮耕太郎(『桃太郎』)

次に尖った岩々が眼下に広がる崖の上にやってきた。ここならば飛び込みの一線さえ超えてしまえば苦しむこともなく死に至れる。目を瞑り覚悟を決め足を踏み出そうとしたが、その一歩が踏み出せなかった。

その後も飢えや毒など様々な自殺を試みたがどれも駄目であった。桃太郎は自分の情けなさに涙を流した。一度涙を流すと、堪えていた寂しさが溢れて涙が止まらなくなり子供のように泣いた。ひとしきり泣いて顔を上げると夕陽が山々を照らしていた。いつも通りの何気ない風景であったが、なぜかこのときは桃太郎の心の琴線に触れた。この島で死を迎えた仲間たちのために死をもって償うのではなく自分の生を全うしようと決意した。

それからまた数十年もの月日が流れた。
桃太郎は老鬼となり畑を豊かに耕し、屋敷の庭にはきれいな草花を育てて慎ましい生活を送っていた。やがて訪れる自分の運命も理解し、受け入れていた。

毎年春になると畑仕事を終えた後には海を一望するのが恒例になっていた。それはかつて自分がこの島にやってきたのが春だったからである。くる年もくる年も桃太郎一行は来なかった。梅雨を迎えるたびに今年も来なかったかと少し落胆したが、やがて来る最期のためにまた一年を生きる気持ちを新たにした。

その日も海を眺めていた。すると遥か彼方に豆粒のようなものが見えた。老鬼ははやる気持ちを抑えようと自分に言い聞かせた。見間違いか、己が作り出した幻かもしれない。しかし、豆粒だったものは舟の形を伴って確実にこの島に近づいてきている。老鬼は走った、足はもつれ何度も転んだが悠長に歩くことなどできなかった。息も上がり咳込んだが足を止めることなどできなかった。

島に降り立った桃太郎、猿、犬、雉を林の隙間から見て懐かしさのあまり老鬼は声を殺して泣いた。しかし運命に抗うことはできない。時間の因果がどのようになっているのかはわからないが自身が鬼として一生を全うすることで魔はこの島に封印され続けると老鬼は考えた。事実、壺から漏れ出たすべての邪気が桃太郎に取込まれたことによって村々から鬼は消えていた。

(俺は己が手によって黄泉の国へ送られるのだ。其れによって鬼退治は成されるのだ。)

老鬼は涙を拭いて砂浜に降りた。なんとか折衝を終え彼らを屋敷に招く運びになった。かつての仲間に会えたこと、かつての己ではあるが人間と会話できるということ、その歓びを老鬼はかみしめた。客人をもてなすために心をこめて最後の晩餐をつくった。

楽しいひと時はまるで神が老鬼の今までの孤独をねぎらうかのように至福の時間であった。

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