小説

『ふりゆくものは』新発田瞳(『雪女』)

 こうして秋は、薄氷の上を行くが如くの危うさで、この幸せな二人の上を過ぎ去っていったのだ。

 
 越後はあっという間に、最も似つかわしい季節を迎えていた。すなわち、雪に塗り込められた暗い冬である。
 越後の冬は長く厳しい。岸壁のような雪に閉じ込められて、もう随分経っていた。
 追い打ちをかけるかの様に折からの吹雪である。あの分厚い雲の上にはどれほどの雪が蓄積されているのかと思うほど、ひっきりなしに殴り掛かる雪、雪、雪。

 この日は珍しく、巳之吉は猟を休んで家にいた。
 戸にも壁にも吹雪が襲い掛かり、この粗末な家は今にも崩れ落ちそうである。
「……こんな雪の日は一年前のことを思い出すのう」
 ごろりと横になったまま巳之吉がつぶやくと、繕い物をしていたお雪が手を止めてこちらを見た。「何があったのですか」と聞いてくる。
「うん、猟をしていたらな、今の様に吹雪いてきて……」
 そこまで話して、巳之吉は口をつぐんだ。
「どうされたのです」
「いや、すまん。今の話は忘れてくれ」
 巳之吉は手を振った。
「誰にも言わんでくれと言われとったんじゃ。もったいぶってすまんが、これ以上は言えんわ。勘弁してくれ」
 勿論、巳之吉はあの雪女のことを話そうとしたのだが、言わなかった。
 命が惜しかったわけではない。ただ男らしいさっぱりとした性格の持ち主である彼は、相手が物の怪とはいえ、単に約束を守ろうとしたに過ぎなかった。
 お雪も彼の性格について理解してくれている、そう信じていた。だからこそ――お雪が肩を震わせて静かに泣き始めたのには仰天してしまった。
「す、すまん、お雪。やましいことは無いんじゃ。本当じゃ。許してくれ」
 ずっと父親と二人で生きてきた巳之吉にとって、初めて見る女の涙であった。おろおろと自分の着物を肩にかけ、背をさすってやる。
「お前に隠し事をするのは心苦しいんじゃが……約束じゃけ」
 お雪はついに声をあげて泣き始めた。もうこうなるとどうしていいか分からない。ただ必死に妻を抱きしめて、髪を撫でてやることしかできなかった。
 そのうち巳之吉は妙なことに気が付いた。
 お雪の涙は頬を伝って落ちると、途端に氷の粒となって彼女の膝の上で砕けるのである。涙が凍るとは、いかに越後が寒い国だとは言え見たことも聞いたこともない。
「……お雪?」
 そっとお雪の顔を覗き込んではっとした。

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