小説

『ふりゆくものは』新発田瞳(『雪女』)

「当たり前にござります。明日は山に行かれますのに、空腹では辛(つろ)うござりましょう」
「そうは言うがお前も足りんじゃろう。お互い様じゃ」
 ちょうどいい気候のせいか、明るい時間が長いせいか。夏の夜は特に会話が弾む。翌朝、二人は少し多めに炊いた芋を頬張ると、寝不足のままそれぞれの持ち場へ向かった。

 
 夏は駆け足で過ぎ、朝晩は冷えるぐらいになってきた。こうなると冬は間近である。
「雪が降るのもすぐじゃろうな」
 曇天を眺めて巳之吉が呟くと、「雪はお嫌いですか」とお雪が問うてきた。
「……好きではないが、一年中降るわけじゃないすけ、堪えて付き合うしかないわな」
 果たして豪雪地帯で知られる越後に、雪が好きな人間がいるのか怪しいものだ。彼女の国の出羽も同じだろうにと思いつつ、ふと、深い意味はなしに尋ねてみた。
「そういえば、お前京におったんじゃろ。京は雪が降るんけ」
 昔行商に出た者が「同じ日ノ本(ひのもと)にも雪が降らない国がある」と言っていたのを思い出したのだ。越後から出たことのない巳之吉にとっては、およそ想像もつかぬことであった。
「さあ……どうでしょうか」
「さあって、お前京にいたんじゃろ」
「京には一月もおらなかったのです」
「何じゃそれは。随分早(はよ)う里心を起こしたんじゃな」
 笑いながら巳之吉は囲炉裏のそばに座り込んだ。お雪も後に続く。
「そもそもそんなにすぐに京を出たとは、どんな用向きで行っていたんじゃ」
 勿論他意のない、世間話のつもりだったのだが、にわかにお雪の顔が曇ってしまった。何かわけがあるのは明白である。気にはなったものの、巳之吉は「ええ、ええ。気にするな」と話を打ち切ってやった。
 ――そういえばお雪は自分の過去を話したことがなかった。一度切り上げてはみたものの、こうなるとやはり知りたくなってしまう。
「……出羽に帰る途中じゃったはずじゃが、越後に留まって半年は過ぎたじゃろ。大丈夫なのか」
 質問を変えてみる。お雪は小声で「ええ」と呟いたのだが、その弱弱しさがかえって引っかかるのだ。
「出羽のおっ父は何をしとる人なんじゃ。わしらみたいな農民じゃないじゃろ」
「……すみません」
「……言えんのか」
 さすがにここまで秘されると、巳之吉といえど不審の念を抱かずにはいられない。すでに夫婦となって半年は経っている。今更何も言えないとは馬鹿げた話だ。
「……申し訳ござりません、巳之吉様。決心がつきましたらば、必ず……」
 「本当にその決心とやらがつく日はくるのか」とよっぽど言ってしまいそうになったが、その言葉でお雪が話してくれるとも思われないから黙っていた。代わりに、「今日の飯は何じゃ」と大して興味のないことを聞いてみると、今度はすんなり返事がかえってくる。それがまた、一層巳之吉の心を波立たせるのだ。

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