受付の人が、驚きに満ちた表情をこちらに向けていた。圭太が、デスクに座ったままこちらを凝視し固まっているのが見えた。みるみるうちに真っ青になった圭太は、静かに椅子から立ち上がると、急ぎたいのを必死に抑えているかのような足取りでどこかに行ってしまった。私は、鏡を出して自分の顔を見てみた。私は、市役所から逃げ出した。
「圭太、今日はどんな一日だった?」
「ああ。まあまあだ。」
「それにしても、最近変わった人が多いわね。」私は、圭太の沸点を探って鎌を掛けた。
「ほんとだな!今日つくづくそう思ったよ。いつも通り仕事をしてたら、市役所に変なやつが来たんだ。そいつのせいで、俺が疑われた。」
「どういうこと?圭太がとり乱すなんて珍しいじゃない?」
「信じられないんだよそれが。俺そっくりなやつが、びりびりに破れたワンピースを着てたんだ。みんな、俺が狂ったんだと思った。俺が弁解しても、そいつが俺にそっくりすぎて、俺じゃないって信じてくれない。みな俺を変態呼ばわりする。」
圭太の声がうるさすぎて、私はスマホから耳を離した。
「でも圭太、あなたは自分しか愛せない変態なんじゃないの。」
「なんだよ急に。」圭太が、怒った調子で言った。今日の圭太は珍しく、喜怒哀楽が備わっている。
「あなた、私と付き合ってた時、私のこと愛してた?」
「今更何言ってんだよ。」
「そう。」私は電話を切った。
家に帰ると私は、全身鏡の前に立って自分の姿をまじまじと見た。皆、私のことを愛さないのは、私以外に愛するものがあるからだ。でも私は、愛せる記憶も、愛せる自分ももってはいない。偽りの姿で復讐しても、男たちを私に縛り付けることはできない。ベッドには縛り付けられたとしても。こんなに愛を求めているのに、一体どうして愛されないんだろうなあ。私は、薬で自分を解毒するように、一気に残りの粒を飲んだ。
「胡桃さん。」私は、私の声で自分を包んだ。次の瞬間、私は空っぽのバスタブに立ち、キッチンに立ち、ベッドの上に立っていた。私はあらゆるところから自分の家を見ている。私が何体もの男になり立ち尽くしている。
「今日のゲストは、トライアスロンの佐藤選手です。」私の口からは、林キャスターの声が勝手なことを話した。
「俺が好きなのは、お前だけなんだよ。」宮田ディレクターの声が聞こえた。
「俺のために制服着てくれるよね?」昔寝た男の声が空中に向かって言った。
「胡桃ちゃんは縛られて泣いてるから可愛いんだよ。」他の男の声もした。
「手錠も、そのうち慣れるよ。」
「あなたこそセカイ...」
どうやら、私は、私が会ったことのある男たとの姿に変わってしまったらしかった。私が愛していたのは、私以外を愛している男たち。私は、意識の分裂に動揺して、収束できない自意識を打ち消すように泣きわめきたかった。でも、私が愛する私はもう消えてしまった。ルクセンブルクの銀の粒によって。私の泣き声は、どこにも届かない。私は、泣き声を通過させる媒体をもたないまま、増え続け、部屋の中に納まりきらなくなる。