小説

『女子アナとメンへラ』ロザリンド理沙(『ジキルとハイド』)

「俺を許してくれ。」彼はかろうじてそう呟くと、私の身体の上に静かに倒れた。

 意識を失った男に覆い被されられて、私は途方に暮れた。身体はわけのわからないことの恐怖に身体は震えていたが、頭の中はやけに冷静だった。久々に、身体が熱くぽかぽかしている。大学時代、どんな男と寝ても、直後には身体は冷え切っているのが常だった。朝、ざらざらした冷たいシーツを裸の身体に感じながら一人で目を覚ますのがオチなのだ。でも今日の私は、男をおいて一人でこの部屋を出て行く。それも、身体の冷えた男を置いて。

 主導権は私に移った。

 髪を切った後、早く家に帰って新しいヘアスタイルが見たくなるように、私は自分の新しい外見を一刻も早く確認したかった。私は、ホテルを出て、車に乗ると急いで家に向かった。バックミラーに、銀色の髪がちらちら移る。見慣れない綺麗な横長の目と何度も目が合った。
 アパートの狭いバスルームに移した私の全身は、元の私の身体とかけ離れていたわけではなかった。むしろ、違うのは、顔つきだ。銀髪に彫りの深い顔にはなったが、その顔には自信に満ちあふれた微笑が浮かんでいた。私は、悲しい顔をしようとしたが微笑がさらに謎めいたものになっただけだった。

 銀の粒が入った小箱には、きちきちと折りたたまれた説明書がついていた。

 この銀の粒を飲んだもの、三時間の間、あなたが最初に目を合わせた人が人生で最も愛した人の姿になる。気をつけて飲みなさい。
(服用量:一回につき一粒)

「若草、おまえ、なんでそう時間合わせるのが下手なんだ?時間を合わせるために、俺らがどれほど入念に作業してるか分かってるだろ?それを本番でおまえに壊されちゃ全部パーだ。な?これ以上ミスしたら、番組下ろすからな。」
 もちろん、今日の反省会の中でも私はダメ出しを食らい続けた。
「お聞きしたいのですが、宮田ディレクター。具体的にどうすれば改善されるでしょうか。」
「あ?おまえ自分の頭ってもんがあるだろう。」

 私は、宮田ディレクターが優秀な人だと知っていた。この業界には、いや、この社会にはたくさんのルールがある。流れを途切れさせてはいけない。偉い人を怒らせては面倒なことになる。時間を守るのは当たり前。悪いのは私で、私が自分の仕事に対する責任がなさ過ぎるのだ。当たり前のことが当たり前にできない。私が叱られるのを見ていたスタッフたちが、非難がましい目で私のことを見ている気がした。
 でも私は、皆が仕事以外の世界をもっていることも知っていた。皆、欲求があり、心があり、居場所をもっている。皆どこかで心を動かされてメイクラブしてるんだ。宮田ディレクターのベルトを、私は盗み見た。

 反省会が終わり、機材の片付けも終わり、明日の予定も確認し終えたところで、私は車に戻った。

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